この市民の祝賀行進はモスクワの繁華街、レニングラード大通りやトヴェルスカヤ通りをこえて、赤の広場へと続いていく。不滅の連隊に参加する市民は祖父や曽祖父、親戚の写真を掲げ、その功績を称えて行進するのだ。人々は「ウラー!」(万歳!)と声を上げ、快晴のモスクワを颯爽と歩いた。プーチン大統領も、昨年に引き続き2回目の参加となった。
連隊が通る沿道にはボランティアのスタッフが数多く配置され、水や、勝利のシンボル「ゲオルギー・リボン」が無料で配布された。行進のスタートは午後3時の予定だったが、参加者が多かったためか、実際には午後2時20分頃のスタートと、かなり前倒しで行われた。
この「不滅の連隊」に先駆けて、一昨日5月7日には、「おじいちゃんを描こう!」というイベントが催された。戦争に参加した親族の写真は、場合によっては集合写真しかなかったり、保存状態が悪くてひきのばせなかったりする。そういう場合に、画家や画家の卵が無料で肖像画を描いてくれるというサービスだ。
また、不滅の連隊に参加するにあたり、自分の家族や親戚についてもっと詳しく知りたいという人々が情報を求め、「不滅の連隊ホットライン」に連絡をとった。戦争に参加した人の中には、戦争について家族に多くを語らないまま亡くなった人も数多い。残された家族は、名前や少ない情報を手がかりに、どこでどれくらいの期間戦ったのか、どんな賞を授与されたかなどを調べてもらうのだ。祖父が戦争に参加したというオリガ・フォチェンコーワさんも、不滅の連隊ホットラインに連絡をとった一人だ。オリガさんの祖父アレクサンドルさんは、戦争の話を好まず、前線にいたときのことについては生前一切話さなかった。しかしホットラインの調査の結果、アレクサンドルさんが戦線でどのような功績をあげたのか、アレクサンドルさんがもらったメダルは何に対してのものだったのか、すぐわかったという。
曾祖母の写真を手に、家族で「不滅の連隊」に参加したアナスタシアさんはスプートニクの取材に対し「曾祖母は1908年にウクライナで生まれました。食べるものがなく、1930年代にモスクワに逃げてきたのです。カリブル社の工場に職を得て、亡くなるまでそこで働きました。今回不滅の連隊に参加したのは初めてです。昨年、戦勝70周年記念の時に不滅の連隊を見て、今年は参加しようと決めました。私たちの家族には3人、戦争に参加した人がいるんですよ」と話してくれた。
また、通りすがりに出会った若い男性は、曽祖父の写真を乳母車にくくりつけ、妻と子どもと一緒に参加した、と話した。曽祖父に対する尊敬の念を表すため、そしてその尊敬の念を子どもにも持ってもらうためだ。