朝鮮労働党第7回大会への記者証を取得した外国人記者らは全員とはとても言えない非常に限られた人数ではあったものの、大会最終日の4日目となってようやく人民文化宮殿のホールへの入場が許可された。外国人記者の入場がこれだけ遅れた原因は単に、北朝鮮安全保障省庁が行なっていた厳重な検査が数時間に及んでしまったというわけだった。外国人記者団もその機材も数度にわたって検査させられら。その結果、ホテルから出られたのは午後2時、大会の会場に入れたのは午後6時頃となってしまった(ピョンヤンの大会への記者のアクセスがなぜうまくいかないかというと、まさにこれが原因なのだ)。
と、とたんに会場中に「マンセー!」の歓声がとどろく。「マンセー!」はロシア語に直すと「1万年の命!」ないしは「祝!」になるが、日本語に訳すとあっさり「万歳!」で終わってしまう。当然のことながら、その全てに感嘆符がつく。
議員らが心の底からこの「マンセー!」を叫びきらないうちに、同志金正恩氏は「もう十分」という動作を手で示した。が、それも効き目なく、会場中はどよめき続け、正恩氏の3度目の制止でようやく会場は落ち着きを取り戻した。
会場はこの決定を聞くや、再び「マンセー!」の歓声を上げた。
ということは、議員にも喜ぶだけの理由があったとおもわれる。金正恩氏はヨーロッパ式の立派な学歴も有し、国の近代化を推し進め、自分の地位をしっかりと固めた。いまや大会終了をもって、正恩氏の決定を現実のものとするための作業が開始できるわけだ。パレードの指揮も晴れて金正恩氏の完全なる独擅場となる。
この事業での彼の成功を祈りたい。北朝鮮革命家にとっての聖なる山で北朝鮮建国者の抗日ゲリラの拠点であった白頭山への登山に劣らぬ困難さが待ち受けているだろう。
大会会場を出た議員らはバスに乗り込み、それぞれの故郷へと向かう。そして故郷で北朝鮮を強国へと変えていくための作業に取り組んでゆくのだろう。