コーシキン氏は次のように述べた―
「サンフランシスコ講和条約では日本が第二次世界大戦の機関におけるあらゆる決定・条約を認めるとされており、したがって、ヤルタ合意も認めるということになる。クリル諸島の「不法な併合」は不条理だ。カイロおよびポツダム宣言とその後のサンフランシスコ講和条約で侵略国の主権は懲罰措置として制限されることもあるという国際法の原則が確認されている。それを自覚すればこそ、東京裁判における被告人弁護士らはしめくくりのスピーチでこう言ったのだ。日本が戦争に負けたとすれば、全国民がその帰結を体験せねばならない。国民はその義務に応じて賠償を払い、損害を補填し、または自国領土を奪われねばならない」。サンフランシスコ講和条約で日本を代表した吉田茂首相はやはり演説で、ハボマイとシコタンという二島に対する要求しか述べなかった。
クリル諸島にどの領域を含めるかという論争は日本議会におけるサンフランシスコ講和条約批准の際に出た。日本政府の名で議員らに説明を行ったのは西村熊雄・外務省条約局長。1951年10月6日、氏は衆議院で次のように述べた。「日本はサンフランシスコ講和条約においてこれら領域に対する主権を放棄したので、この問題は解決済みだ」。こうしてサンフランシスコ講和条約の批准において日本議会は日本がクリル岩礁の4島全部を放棄したという事実を認めたのだ。
その理由はつい最近まで敵国だった日本の利益を気遣ってのことではない。日本に領土を「返還」し、朝鮮戦争において日本を米国の必要に利用し、あるいは、極東でその他の冒険をするという意図のもとのことだったのだ。
サンフランシスコ講和条約の調印の結果、近隣諸国、特にソ連と中国が、日本と戦争状態に残された。それはアジア太平洋地域の国際情勢に響かないではいなかった。ソ連のような影響力ある大国と正常な関係を結べなかったために、相互利益的貿易に障害ができ、日本が米国に厳しく結び付けられ、日本の外交上の自立性は大幅に制限され、国連加盟が大幅に難しくなることになった。」
サンフランシスコ講和条約は日本の第二次世界大戦参加を終わらせたが、同時に冷戦という新たな世界大戦に引き込んだと言える。
なお記事の中で述べられている見解は、必ずしも編集部の立場とは一致していません。