その長門市の通地区・大越の浜には、日露戦争時に日本陸軍の御用船だった「常陸丸」遭難兵士の墓碑と、対馬沖海戦で命を落としたロシア兵戦没者の墓碑とが、隣同士に建っている。2日、地元住民により、これら墓碑周辺の清掃活動が行われた。
1904年6月、日本人将兵千人あまりが乗った常陸丸は、軍事輸送の際に玄界灘でロシア軍艦に砲撃されて沈没し、大多数が犠牲になった。通地区の沖合いに流れてきた戦死者の遺体は、地元住民が丁重に葬った。翌年の1905年には、対馬沖でバルチック艦隊との海戦が行われた。そのときに戦死したロシア兵の遺体はやはり海を流れ、大越の浜に打ち上げられたのだ。地元住民は、日本兵だけでなくロシア兵の遺体をも手厚く埋葬し、供養を続けてきた。
これまで、長門市老人クラブ通支部では、定期的に両墓碑の清掃活動をするのみならず、毎年6月15日に日露兵士合同慰霊祭を開催し、かつての敵・見方の区別なく、戦没者の冥福を祈ってきた。
日露首脳会談の場となる『長門市とロシアのつながり』山口県長門市は日露戦争の長崎県対馬沖の戦闘で犠牲になったロシア兵が通の浜に漂着。地元住民が墓を設置、68年には新しく建て替えた。毎年6月15日、同慰霊祭が向岸寺で営まれる。#日露戦争 pic.twitter.com/o8SLLZhSbx
— スポコン (@yabattfit1962) 9 сентября 2016 г.
今回の清掃は、通地区発展促進協議会の呼びかけで行われたもので、最近増加している参拝者のため、墓へ続く参道の整備をしようという意味合いもあった。二基の墓がある大越の浜へ出るには、階段がなく整備されていない下り坂を降りなければならない。有志の人々は少しでも通りやすくなるようにと、草を刈ったり枝を切るなどの作業を行った。また、漂着物の回収も行った。
地域の歴史に詳しい長門市通公民館の山田功平館長は、「この地区には100年来、ロシアとの繋がりを守ってきたという事実があります。このようなお墓があって、住民が慰霊をしてきたという事実を、皆様に知っていただければと思います。これから地区外の方が多くいらっしゃると思うので、入り口の案内板や、お墓の近くに説明書きなどもできると良いなと期待しています。プーチン大統領がお墓へ直接いらっしゃることは難しいだろう、とは思いますが、ロシアの大統領が長門市へお越しになるということで、全体的に注目が集まっていると感じます。」と話している。
長門市では日露首脳会談を視野に、「長門市プロジェクトチーム」が発足し、既に第一回会合も行われた。市内の魅力を国内外に発信するため、ロシア語版観光パンフレットの製作なども検討されているということだ。