昭和音大在学中は二度イタリアでの研修に参加した。大学でも試験でも、イタリア語の歌を数多く歌ってきたし、岡田さん自身も留学するならイタリアだと思っていた。しかし、運命のいたずらか、ロシアとの出会いは不意に訪れた。
岡田さん「大学四年生の夏、図書館でたまたまグリンカのロマンス集を手にとって聴いたんです。こんな音楽があったのか…と衝撃を受けました。ロシアの音楽は、豪華さはありませんが素朴さがあり、とても心に染み入ってきました。そのときロシアに対してものすごく興味がわいてしまったのです。」
一つ目標を決めると、一直線に突き進む岡田さん。グリンカの音楽と出会ったとき、岡田さんの中で、ロシア以外に留学するという選択肢がなくなったのだった。岡田さんは本格留学の下準備としてサンクトぺテルブルグに語学留学した後、モスクワ音楽院でまずは研修生として学び、入学試験を受け、今年の9月に本科に入学した。試験科目は歌の実技、ソルフェージュ(楽譜を読むこと)、文学、そしてロシア語だった。音楽院の授業はユニークだ。「炭坑節しか踊ったことがなかった」岡田さんだが、ダンスの授業ではバレエにも取り組んでいる。ロシアの詩や詩人について知ることも必要不可欠なので、文学の授業もある。声楽科だからと言って、歌の練習だけしていればよいというわけではないのだ。
声楽科の学科長であるピョートル・スクスニチェンコ氏の話によると、イタリアやスペイン、韓国や中国からの留学生が特に多かったのだが、過去には一年で退学するケースもあった。それに対して日本人学生は自分がなぜここで学ぶのかという自覚があり、人一倍よく勉強しているということだ。
岡田さんは現在、エレーナ・オコーリシェヴァ氏(以下、エレーナ先生)に師事している。エレーナ先生はボリショイ・オペラのソリストであり、モスクワ音楽院の卒業生でもある。教授陣の豪華さと層の厚さは、この学校の特徴だ。
岡田さん「先生は優しく教え方がとても丁寧です。私の声が迷子になってしまったときは自分で歌ってみせて下さいますし、歌っているときに何を意識しなければいけないか、どこが動いていないといけないかきっちり指導してくれる、とても良い先生です。日本で勉強していた頃と比べ、良い意味で、私の声は大きく変わりました。先生の指導を通して、私の中で、声に対する捉え方が変わったのです。例えば、歌を歌うには絶対的な才能がないといけないだとか、色々な思いが頭の中にあったのですが、先生は『声はみんなが持っているもの』とおっしゃいました。それがすごく印象に残っています。」
エレーナ先生はほとんど毎年日本へ行き、短期講座で教鞭をとっているが、自身が日本人の担任になるのは初めてだった。エレーナ先生は岡田さんについて、次のように話している。
エレーナ先生「知果はとても謙虚で控えめです。違う文化をもった人なので、自己の力を発揮するのに多くの時間が必要になるかもしれません。最初はこれまでについてしまったクセをとるのが大変でしたけれど、私たちは一緒にそれを乗り越えました。まだ一年生ですが、今ではほとんどの音域をものにしましたよ。粘り強い女の子です。将来良い歌手になってくれることでしょう。あと私は、学生とは、音楽院の教師と学生という垣根を越えて、人間としての関係を築きたいと思っています。ちゃんと厚着しているか、ちゃんと食べているか、いつも気にしています。」
もちろんロシアの生活が日本人にとって厳しく、日本食が恋しくなることに変わりはないが、「最近少し周りを見る余裕が出てきた」と話す岡田さん。自分自身の成長を毎日少しずつ感じられるロシアで、オペラ歌手という夢に向かって突き進んでいる。