ユジノサハリンスク市議会議長代理のエフゲーニー・プロートニコフ氏は、「私は長年クリルで過ごしました。南クリルの住民は自分たちを日本人と強く結び付けており、日本人を兄弟のような存在だとみなしています。クリルの住民は日本の存在を受け入れる用意があります。彼らは、日本側がより多くの協調行動をとれるよう、不可欠な法的基盤を政府が整備することを待ち望んでいます」と述べた。
日本側からは在ユジノサハリンスク日本国総領事の平野隆一氏や北海道サハリン事務所の桜井達美所長、そして今年でサハリンに暮らして27年目になる宮西豊氏が参加した。宮西氏は、ユジノサハリンスクで大人気のレストラン「ふる里」の経営者であるとともに、サハリン住民のための様々な慈善事業や桜の寄贈などを行い、日本人でありながらユジノサハリンスク市の名誉市民となった、サハリンで最も有名な日本人である。宮西氏は、サハリン住民の間には「日本企業への期待と同時に疑問もある」と指摘する。
ロシアビジネスは参入するまでのハードルも高いが、その後トラブルにあって短期間で撤退してしまうことも多い。宮西氏自身も、サハリンでの生活は苦難の連続だった。そんな彼は、ロシアのビジネス風土の特徴について「ロシアで一儲けしよう、という考えではロシア人の尊敬を得ることはできず、ビジネスもうまくいきません。ロシア社会に奉仕しながら事業を行っていくということが肝心です」と話す。宮西氏が移住した直接のきっかけは、観光で訪れたサハリンで孤児院を訪問し、子どもたちがひどい環境で生活しているのを目の当たりにして心を痛めたことだ。サハリン移住当初はホテルに勤めており、自身のビジネスを立ち上げたのは、それからもっと後のことだった。医療設備や車椅子の寄贈、病院の建て直し、警察への手錠の寄付など、恵まれない人を助けることを常に忘れなかった宮西氏は、「困難に陥ったら、いつもロシア人が助けてくれました」と、逆にロシア人に感謝の言葉を口にする。その困難を招いた直接の原因が当のロシアだったとしてもだ。このような特殊な考え方の持ち主はもちろん稀有だ。しかしロシア人と一緒に何かをしようとし、ロシアに長くとどまりたければ、企業も個人も宮西氏のマインドに学ぶところが大きい。