スプートニク:バレエダンサーの生活は辛いものですか?
エゴールさん:ええ、大変です。常に努力していなければなりません。私たちの職業は、職場から出て、息をついて、「僕は今はバレエダンサーじゃないからなんでもしていいんだ」とは言えません。常に自分を管理し、気をつけていなければいけないんです。これは体を動かしたり、ダイエットすることです。
スプートニク:バレエダンサーにとって最も重要な資質は何ですか?
エゴールさん:根気強さと意思の強さです。投げ出したり、道半ばで立ち止まらないために必要です。
スプートニク:日本のバレエをご存知ですか?
エゴールさん:日本のプロのバレエはずいぶん前の20世紀初頭から存在しています。これは欧州の文化ですが、日本の地にやっとのことで定着しました。とはいえ少なくとも今日本のバレエはすでに世界のバレエで一定のニッチを占めています。日本のダンサーの中には世界規模のスターたちもいます。例えば、サオリはクレムリンで踊っています。
エゴールんさん:実は私たちがクレムリンに辿り着くまでには長い道のりがありました。私たちがバレエ学校を卒業した時、クレムリンは私たちが入ろうとした最も素晴らしい劇場の一つでした。私たちは採用されましたが、しばらくしてサオリは外国人であり、クレムリンは国の機関であるため、サオリは働くことができないと伝えられました。私たちはもちろんがっかりしました。でもペテルブルグで別の場所をみつけました。でもクレムリンの夢を私たちは忘れませんでした。そして5年後、サオリはロシアで居住許可を取得し、その時クレムリンの状況も解決され、それからさらに1年後、私たちはクレムリン・バレエ団に入団しました。
スプートニク:お2人はバレエ学校で出会ったんですか?
エゴールさん:そうです。私たちはバレエ学校で出会いました。全ての授業でデュエットを組み、バレエダンサーとしてのキャリアを一緒に歩んできました。ペテルブルグの後はロシアのマリ・エル共和国の首都ヨシュカル・オラでも働きました。サオリにとってはこれも素晴らしい経験になりました。サオリはそこでマリの地における日本の真珠と呼ばれました。全ての人が彼女を高く評価しました。なぜなら当時サオリはマリ・エルで唯一の日本人だったからです。
スプートニク:国際結婚はとても興味深いテーマです。国際結婚では文化やメンタリティーが衝突することがよくあります。お2人の関係でもそのようなことがありましたか?
エゴールさん:文化の衝突は私たちにはありません。サオリはすでにロシア化しました。私たちがロシアにいる時、彼女は日本に行きたくなります。「日本では全部が違う、こういう風にはしない」とよく言います。でもロシアに来ると「ほらロシアでは全てが簡単、全てが違う」と言います。どこにでもプラスの面とマイナスの面があります。でももちろん、それぞれの文化のメリットを維持して、マイナスなことをしないほうがいいでしょう。
スプートニク:日本の印象について教えてください。
エゴールさん:まず日本はとても友好的で、温かいおもてなしをしてくれる国です。でも私は日本にはお客さんとして行くほうがいいような気がします。日本でずっと暮らすのは恐らくとても大変でしょう。日本には外国人には理解しにくい独自のルールや枠がたくさんあります。
スプートニク:エゴールさんにとって日本人のメンタリティーは難しいということですか?
エゴールさん:私は日本人のメンタリティーが好きです。ただすぐに受け入れるのが難しいものもあるということです。例えば、公共の交通機関で席を譲ったら、その人の気を悪くさせてしまうことがあります。また重い荷物を持つのを手伝ったり、女性を先に行かせることで驚かれることがあることにも私はとてもびっくりしました。
スプートニク:今後はどんなことを計画していますか?
エゴールさん:私とサオリはモスクワの舞踊アカデミーの教育学部に入学しました。今私たちにとって重要な目標は学歴を得るということです。サオリにとってはこれもはじめは大変でした。全部ロシア語で行われるからです。でも今は馴れて、とても気に入っています。
スプートニク:踊ってみたい場所はありますか?
エゴールさん:特に惹かれる場所はありません。ヨシュカル・オラに行った時も、たくさんの人がどうしてペテルブルグから、バレエがどんな扱いを受けているか分からない田舎に行くんだと言ってやめさせようとしましたが、私はどんな舞台でも素晴らしい踊りを踊ることができると考えています。小さな町でも田舎でも、どこで踊るかは重要ではないんです。もちろん観客は様々です。モスクワにはバレエに通じている人や専門家たちがいます。小さな町にはバレエに詳しい人はあまりいません。でも少なくとも自分を甘やかしたり、小さなヘマをしたり、「観客は気づかないだろう」と考えたりしてはいけません。大切なのは、どこの舞台でもプロとして働くことです。
沙織さん:ロシアに来たのは2002年の9月です。
スプートニク:バレエのためにロシアに来たんですよね?どうしてロシアのバレエに惹かれたんですか?ロシアのバレエには何か特別なものがありますか?
沙織さん:その時はわからなかったけど、とにかくまず初めに留学をしてみたかったんです。親が留学するならどこへ行きたいかって聞いてくれたから、旧ソ連の場所だったらどこでもよかったんだけど、それがなぜかはその時分からなかったけど、バレエといったらロシアだなと自分で思っていて、今になったら、ちっちゃい頃、子供の時に、日本でバレエをやった時にマイヤ・プレセツカヤっていう有名なソ連のバレエダンサーがいて、彼女と一緒に舞台に立ったことが多分どこかの中にすごく印象に残っていて、そこからロシアバレエってなったのかなと思います。
沙織さん:言葉以外はそんなに苦労はしなかったです。言葉は大変だったけど、気候も日本は冬すごく家が寒いので、こっちは家の中が暖かいから、逆に過ごしやすかったり、文化もそんなに困らなかったです。
スプートニク:ロシアに来た時、ロシア語は分かりませんでしたか?
沙織さん:分からなかったです。英語が通じると思って来ました。ロシア語は「 Здравствуйте(こんにちは)」と「 спасибо(ありがとう)」と、「до свидания,(さようならう)」と、「извините(すみません)」と、 たぶんこれぐらいしか知らなかった。ちょっと勉強したんだけど、しゃべらないと実際分からないし、読むこともできないしで、結局英語できるからなんとかなるかと思って来たら,駄目でした。(笑)その時代は空港にも英語に表示がなくて、シェレメティボ空港も古い空港だったから、どこもロシア語の表示ばっかりで、空港内に入っちゃうと何がどこにあるのか分からないし、英語で聞いても何言ってるのって感じでロシア語で言い返されるから、ちょっと大変でした。
スプートニク:ロシアに来る前はロシアにどんなイメージを持っていましたか?
沙織さん:周りの人とかからは怖いよ、寒いよとか結構いろいろ言われたんだけど、私の中では何もなくて、マイナスもないし、かといって大きなプラスがあるっていうのもなくて、本当に無で、ただバレエでロシアに行きたいというだけで、あとは雪があるから冬はきれいなんだろうなっていうだけでした。
スプートニク:そしてロシアに来て、今「ロシアのこれが好き」というものや、日本には絶対にないものというのはありますか?
沙織さん:国民性。例えば、日本人はやっぱり自分が思ったことを素直に言えない。これは国民性だと思うんです。たぶん国の昔からの教育というか。だけどロシアではよかったらはっきり言われるし、駄目だったら「あなたなにやってるの、全然駄目よ」という言葉を傷つくけど言われるというのは、顔色とか裏のある心を考えなくていいから、そういう意味ではやっぱりいいのかな。
スプートニク:バレエのことに戻りますが、日本のバレエのスタイルとロシアのバレエのスタイルの違いはありますか?
スプートニク:バレエダンサーになるために一番大切なものは何ですか?
沙織さん:諦めないこと。やっぱりそれがないと結構くじけることが多い。多分どの仕事もそうなんだけど、特に肉体的な仕事をしてる場合って体がついていかない時があって、それでもいつかできるぞっていう気持ちがないと、続けられないのかなと思います。諦めないとか、希望とかがないとやっぱりくじけてやめちゃう人はやめちゃうし、私たちの同級生でももう半分くらいしか残ってないんですよ。学生時代の同級生で今でもバレエをやっている人は少なくて、その中でも学生時代はトップだった子もやっぱりどっかで壁にあたって「ああもうダメだ」ってなっちゃうと、もう…
スプートニク:夢はありますか?
沙織さん:夢?いっぱいあります。言うといっぱいあるんだけど、これといった夢は、なんだろうな、幸せな家族、家庭を持つこと。家族はもういるのでそこから先を広げていくことかな。
よく、「愛し合っているカップルが一緒に働くのは難しい」とか、「創造的な仕事と愛が同居するのは困難だ」とか、「メンタルの違いは、国際結婚に調和をもたらせない、大きな障害だ」などといったことが言われている。しかしスプートニクはエゴールさんと沙織さんが、これらのステレオタイプな言説を、自分達の例をもってして誤りだと立証してくれたことを、確信をもってお伝えする。