アフガニスタン国内の不安定化拡大の傾向は、このところ強まっており、この事は国連やアフガニスタン政府のデータが裏付けている。専門家らは、その主要な原因として、戦闘員の流入、とりわけパキスタンそしてアフガン諸地域から武装グループが続々と流れ込んでいる事、そしてアフガン経済の破綻を挙げている。
その後日本は、軍事的参加に代え、政治や経済の調整メカニズムにおいて積極的役割を果たす方針を取った。例えば、国際的な金融支援の配分を規定する移行期(2015年から2025年期)の、いわゆるアフガン支援「東京メカニズム」がそうだ。実際日本自身、巨額の援助をしてきた。アフガン政府のデータによると2016年、その額は70億ドルに達している。それ以外に、実に様々な領域における数多くの発展プロジェクトへの日本の参加が顕著となっている。その最も際立った例が、アフガニスタンの国家機構を事実上、一から作り出す国連の国際大型プロジェクトである。このプログラムの中で米国は、アフガニスタンの国軍創設に取り組んできた。そしてドイツは政治改革に、英国は麻薬撲滅に、イタリアは司法システムの改革に、そして日本は民兵組織の武装解除を担当した。
この仕事は果たしてうまく行っただろうか? 公式的見解では、プロジェクトは成功した。なぜなら、アフガニスタン政府が樹立されたからである。大統領選挙も議会選挙も実施された。国の軍隊や警察が作られ、一連のインフラプロジェクトが現実のものとなり、経済や教育、医療領域では若干の成果も達成された。しかし専門家らは「成功」という言葉を使うのを避けている。アフガニスタンは、大変脆弱な国家であり、経済的基盤は不十分で諸外国からの財政援助に依存しており、おまけに自国だけではイスラム反政府勢力タリバーンに対抗する力がない。
NATOのアフガニスタンにおける民間代表機関のマスコミ及び共通外交問題顧問を務めた経験を持つモハンマド・シャフィク氏は、スプートニク記者の取材に対し、こうした結果を招いた原因は2002年から2006年期の段階的武装解除プログラムにあるとし、次のように述べている-「武装グループの武装解除策と、NATO主体の国際治安支援部隊(ISAF)が支援してきた軍からプロの元将校らが排除されたことが、タリバーンやテロリストらに再び頭をもたげ、アフガンの農村地区で自分達の部隊を組織するチャンスを与えてしまった。その事が、時を追うにしたがって明らかとなった」。実際、2006年から2007年まで、タリバーンの力は大変弱く、彼らを最終的に殲滅する事は可能だった。しかし当時、武装解除が行われ、国際部隊は積極的な戦闘作戦を展開せず、その一方でアフガニスタン国軍や警察の力は大変弱かった。その結果タリバーンは、数年間の小休止を得て、それを効果的に利用したのだった。現在タリバーンは、戦争を続ける能力を維持しただけでなく、攻勢に転じ、自分達がコントロール下に置く地域を徐々に拡大している。もし彼らの攻勢が今後も続くなら、戦闘が激化し、道路や学校、病院、灌漑システム建設に向けた、また教員や医療及び麻薬管理の専門家の養成に向けた日本の努力の成果はすべて完全に無に帰すだろう。
しかしアフガニスタンにおける日本の政策が、別の国内的側面を持っていることもまた明らかだ。アフガニスタンにおける日本のプレゼンスが、非軍事的なものに限られると強調されたとしても、恐らくアフガン問題は、国外での日本の軍事行動禁止を解くための、そして集団的自衛権を獲得する、まさにエンジンとなった。これらのことは両方とも、2016年3月に効力を発した法律により可能となった。その決定を下すための動機となったのは。日本市民を国外でのテロ攻撃から守る必要があるとの主張だった。
現在、朝鮮民主主義人民共和国の脅威が強まり、中国との領土問題が尖鋭化し、さらにはロシアとの領土問題解決に今のところ展望が見えないなど北東アジアの情勢が複雑化しているため 、アフガニスタンに対する日本の関心は低下している。しかし、日本がアフガン政策を放棄する事は恐らくないだろう。極めて重要な世界の問題を解決する国々のサークルに残るためにも、そんなことをするわけにはいかないからだ。
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