しかし今のところ消費者の大半が、自動運転車に懐疑的な見方を示している。Deloitteの世論調査によると、日本では80パーセント、韓国では81パーセントの回答者が自動運転車について、安全ではないと考えていることがわかった。
これは路上での緊急時にコンピューターが反応する能力への不安が根底にある。しかも自動運転車の事故がすでに数件発生している。日本ではこの問題が法的に議論されており、人口の少ない地域で自動運転を許可する用意がある。その場合大都市ではドライバーが自動車を運転しなければならない。
一方、自動運転車に対する不安はあるものの、同プロジェクトは米国、韓国、ドイツなどの国々で発展しており、すでに自動運転タクシーが誕生した。20年前、ファンタジー作家たちは未来の乗り物として自動運転車について書いていた。
思うに、同テクノロジーはあらゆる困難、また開発の第1段階であらゆるテクノロジーにとって当たり前の疑いを乗り越えて自ら道を切り開き、非常に大きなインフラ、経済、社会的な変化を引き起こすだろう。
一つ目に、自動運転車は公共交通機関の特質を有している。なぜなら安全な移動はすべての自動車、道路網全体に情報や指示を与え、すべての自動車を同時に管理するナビゲーションシステムや操車システムをつくることで可能となるからだ。ドライバーまたは乗客は行き先を選ぶことはできるが、そこまでどうやって到着するのかを決めるのはナビゲーションシステムと操車システムだ。そして偶然の要素を最大限排除することによって、事故の問題は解決するだろう。
ソ連では世界初の全面的な電化に関するアイデアが持ち上がった。もし最初の電化プランを策定したレーニンとクルジジャノフスキーが今生きていたならば、彼らは自動車の完全な電化を精力的に支持したことだろう。
3つ目は、船、飛行機、鉄道を含む全輸送システムの幅広い自動化が浸透する可能性が開かれる。これは貨物輸送の効率性を著しく高める。加えて高度に自動化された生産と、自動販売を統一する可能性も生まれる(日本はすでに今、自動販売機分野における世界のリーダーだ)。これは経済を新たな発展段階へ引き上げるだろう。
四つ目に、自動車の自動化は、自動車輸送にかかわる大幅な雇用削減につながり、これは大きな社会改革を必要とするだろう。自動車運送業界の数百万人もの労働者や従業員のために新たな仕事を見つけなければならない。同プロセスは、日本社会における多くの抜本的な変化を伴い、そこには現在の観点からは不明なものも含まれるだろう。
ここで指摘する必要があるのは、経済や自動車界にとって非常に重要な「ペレストロイカ」は、簡単なものではないということだ。おそらく近いうちにも、必要とされるすべてのシステムづくり、道路インフラの再構築、自動車全体を新タイプへ変えることを含む自動運転車への移行に関する包括的プログラムの実施が必要となるだろう。同プログラムは後戻りできないものとなり、実現後は公道における自動運転システムのない自動車の使用が禁止される。
ロシアの観点から見ると、自動運転車の導入に関する日本の経験はきわめて興味深い。広大な国ロシアには長い道路があり、その質は改善を必要としている。交通の再編には膨大な資金がかかる。それができるのは国家プログラムだけだ。そのためロシアが新たな交通システムを実験するのは難しい。ロシアにとっては、例えば日本のようなすでにテスト済みの経験を取り入れるほうが合っている。ロシアは日本の経験を学び、それを大きな規模で用いることができるはずだ。