今、福島第一原発においてまず始めにすべき課題は、解体と原子炉から溶けた核燃料を取り出すことである。今年の夏には、核燃料取り出しの手順が決められ、来年2018年には決定が下され、2021年には作業に着手されるものと予想されていた。しかし、東京電力とIRID(国際廃炉研究開発機構)、そして東芝が行った調査によれば、原子炉真下の放射能レベルが20シーベルトであるなら、原子炉を支えるコンクリートの基底部脇のレベルは、何と500シーベルトになることが分かった。恐らく、プラン見直しの必要が生じると思われる。
先に日本政府は、2017年には避難ゾーンのいくつかへの帰還が始まるだろうと説明していた。 とはいえ例えば、福島第一原発近くの森の放射線レベルは、除染後でさえチェルノブィリ原発周辺30キロの避難ゾーンのそれに匹敵する。チェルノブィリの場合、事故後30年が経っても、避難ゾーンへは公式的には、入ることができない。そんな中、2017年3月31日、福島第一原発から30キロに位置する飯舘村の大半の地域では避難指示が解除される。
そしてさらに1年後には、これらの地区の旧住民に対する補償金支払いが停止となる。その際日本政府は、飯舘村に帰還した場合、旧住民が受けることになるだろう放射線がどのくらいかについて、評価がなされなかったことを認めている。グリンピース・ジャパンの米田祐子事務局長は、次のように述べた-「原子力産業維持を目指しながら、安倍政権は、偽りの地図を描こうと試み、破滅的結果であるにもかかわらず、福島の生活は正常になるかのように主張している。」
一方先日、グリンピース・ロシアは、日本政府に対し、被災者の人権を尊重し、部分的に汚染が残る場所へ彼らを無理に帰還させないよう求める書簡を送った。これについて、グリンピース・ロシア反核プログラムの責任者、ラシド・アリモフ氏は、スプートニク日本のリュドミラ・サーキャン記者のインタビューに、次のように答えた-
「福島第一原発事故からの6年間は、チェルノブィリ原発事故後の30年と同様、放射性物質に汚染された土地の完全な除染はできないことを示している。しかし日本では、事実上、汚染地区への経済的強制移住が進められている。我々は、人々には選択肢があるべきであり、政府は、彼らのもとに安全に関する偽りの理解を創り出してはならないと考えている。まさにそうした理由から、グリンピース・ロシアは、日本大使館に書簡を渡した。もちろん、放射線のレベルは低くなったが、そうした場所に常時住むことは、除染がなされたとしても、線量計が何を示したとしても、やはり危険である。問題は、放射性元素が、水や食品、あるいは呼吸することを通して体内に入り込んで起こる内部被爆である。例えばロシアでは、チェルノブィリ原発事故後30年が過ぎても、14の地域に汚染が残っている。グリンピースが日本やロシアそしてウクライナで行った調査によれば、汚染は均一的ではなく極めてバラバラで、人間の健康にとってネガティヴなものや深刻な汚染が今も残る場所がある。こうした事から特に悪影響を受けるのが、子供達だ。チェルノブィリと福島の間には大きな違いがあるが、一方でたくさんの共通点もある。例えば、どの国の専門家らも、時に自分達の健康を危険もにさらしながら、事故の悪影響をなくそうと懸命に取り組んでいるが、原子力産業側は、事故に対する自分達の責任を軽くすることを目指し、政府は政府で財政負担を軽減したいと欲している。」
© 写真 : Greenpeace Russiaグリンピース・ロシア 福島第一原発事故被災者の権利尊重を訴える書簡を日本政府に送る
グリンピース・ロシア 福島第一原発事故被災者の権利尊重を訴える書簡を日本政府に送る
© 写真 : Greenpeace Russia
福島県の富岡町や双葉町などから避難した人々は皆が、あたかも6年前に離れた町への帰還を心待ちにしているように見られている。町には人々が生活していた証は残ってはいるものの、まるでゴーストタウンのようだ。しかしこれこそが、人間の活動がどんな結末をもたらすのかを我々に思い出させてくれる厳しい現実なのだ。