アフリカ出身者の参加もあった。ママがやはりロシア人で、パパがコートジボワール人のアリ・コネさんだ。8歳の彼女は、オーディションに参加するためロンドンからモスクワにやって来た。しかし誰よりも視聴者を驚かせたのは、京都からやって来た可愛らしく才能豊かな熊本エミさん(8歳)だった。彼女もママがロシア人、パパは日本人だ。
番組の中で、エミ-さんは、アーラ・プガチョワの「夢はこれからまだまだ叶う(А знаешь, все еще будет)」を歌った。惜しくも彼女は、オーディションの次の段階には進めなかったが、観客の大きな支持を集めた。ロシアのフェイスブックと言われる「ヴ・コンタクチェ」では、大部分の人達が、コンクールに彼女を残すことに賛成票を投じた。寄せられた書き込みの中から、いくつかご紹介しよう。
「8歳の女の子が、こんなにすごい声を出すなんて、彼女には大きな未来があると思う。」
「エミ!あなたは出演者の中で最も前向きで、一番かわいい! 私は彼女のファン!」
「審査員の中の誰も、自分のチームに、よく響く声を持った女の子、京都から来たエミ-・クマモトを取らなかったなんて、どうかしてる。この真心溢れる才能豊かな歌い手は、おそらく、何か『超自然的な声』で人々を驚かしはしなかったが、声楽芸術の観点から見れば、彼女の歌は、我々プロが気に留めないではいられないほど、聞いていて滑らかで正しく快いものだった。」
このようにインターネット上では、エミ-さんの評価は非常に高く、ファン・クラブのようなものさえできている。
スプートニク記者も、エミ-さんのTV出演後、到底無関心ではいられず、本人そして彼女のママと直接お話ししようと国際電話をかけることにした。
記者は、お母さんの熊本マリーナさんに、どうしてモスクワのオーディション番組に出ることにしたのか、聞いてみた。
マリーナさんは、次のように答えてくれた-
「私達が、あのオーディション番組を見るようになったのは、エミ-が4歳の時でした。とても気に入って、彼女はいつかこれに出たいと思うようになりました。そして8歳になった時、彼女は、参加の申し込みをしてほしいと言いました。そこで私達は、アンケートに記入し、2つの曲、一つはロシア語で、もう一つは日本語で歌うものを録音したのです。パパは最初から、申し込みは8500通もあったのだから、きっと無理だろうと言っていました。でも、モスクワに招待されることになり、私達は本当にびっくりしました。私は、特別の期待を抱かず、娘が勝つなんて思いませんでした。だって他の子供達は、長い間、この番組出演を目指して練習を重ねてきているのですから。エミは一度も、特別に声楽を勉強した事はありません。ただとても小さい時から、車の中でもお店でも、家の中でも通りでも、どこでも歌っていました。ただオーディションの直前に、音楽学校で少し声楽を勉強しました。コンクールの条件により、ロシア語そして外国語で3つから4つ、自分で選んで準備する必要があったからです。エミは、出演に向け準備しましたが、なぜか彼女にはロシア語の歌を歌うよう依頼が来ました。キャスティングでは、彼女は日本語で歌い、皆もそれを気に入っていたのですが… もちろん彼女は、次の段階に進めなかったと知って、がっかりしましたが、もう2日後には、私の手を取って、ママ、来年の出場申し込みをしようと言いました。」
エミのママは、ハバロフスク生まれで、2004年、太平洋大学国際学部を卒業、日本語を勉強するため日本に来た時、現在の御主人と知り合った。二人は、結婚してもう12年になる。エミさんは、2009年に生まれ、学校では、そしてパパとは日本語で話すが、ママとはロシア語だけで話す。またスカイプなどを使って、ほとんど毎日ロシア人の祖父母とも会話している。歌以外に、彼女は水泳が得意で、競技会にも出場しているそうだ。
しかし彼女を一番夢中にさせているのは、何と言ってもバレエで、3歳の時からレッスンをしている。つい最近は、バイオリンも習い始めた。あらゆることから判断して、エミ-さんの芸術的才能と音楽や歌への愛は、偶然のものではない。
スプートニク日本のインタビューに対し、エミ-さんは「出演した時、全く緊張しなかった」と答え、記者の「好きな歌手は誰ですか?」という質問には、ペラゲーヤとアーラ・プガチョワの名を挙げた。
エミさんのママの話では、彼女は何度もママの故郷のハバロフスクを訪ね、ロシアに積極的な興味を持ち、次のシーズンも「ゴーラス・ヂェーチ」に挑戦したいと夢見ている。
私達、スプートニク日本課一同も、エミ-さんの学業やバレエ、バイオリン、そしてもちろん声楽での更なる成功を心から祈っている。御自身が歌った歌にもあるように「エミさん、すべてはまだこれから!」との言葉を、モスクワからあなたに贈りたい。