安倍首相との会談始めにペンス副大統領は、「我々は日本同様、国として平和を常に求めている。しかし、あなた方や米国が知っているように、平和は力によって達成され、我々は地域の平和と安全のため、日本と他の同盟国とともに、強く立っていく」と述べた。
本質的にペンス氏は、「冷戦」のマニフェストとして考えられている、チャーチル英首相が1947年に行った、「鉄のカーテン」で有名なフルトン演説の主要な命題を繰り返している。
チャーチル元首相は同演説で、「英国の人口が世界中の空、海、科学、産業、道徳的力を含む協力を持って米国の人口に加わるならば、野心や冒険への誘惑を提供する、ぐらぐらして不安定なパワーバランスは出てこないだろう」と述べた。
チャーチル元首相は米国に、欧州外交をほぼ3世紀支配してきたパワーバランス・ドクトリンを放棄し、ソ連と対抗するために当時の核兵器独占状態を利用するよう呼びかけた。力の立場からの政策は軍拡競争と核戦争の瀬戸際での瀬戸際外交を導いた。核戦争の危機はキューバ危機で最も深刻だったが、それは唯一のエピソードとは程遠かった。
現在、ペンス氏は、核の時代の世界における戦略的安定の原則に基づいた軍事分野での均衡と平等な安全保障という先の原則を否定している。さらに、第2次世界大戦後、米国はその軍事力における圧倒的優位性にも関わらず、参戦した大規模な地域戦争5つのいずれでも、容認できるような政治的結果を掴み取ることはできなかった、という事実はどうやら無視されているようだ。その地域戦争とは、朝鮮半島、ベトナム、アフガニスタン、イラク、リビアであったものだ。
形式的にはペンス氏の発言は北朝鮮の政策、ロシアのラブロフ外相が表現したところの「核の冒険的な動き」への反応のように響く。しかし実際にはこの発言は地域の各地域での平和維持問題における米国のアプローチに賛成しない者全てに向けられたものだ。それは第一にはロシアと中国である。
安倍首相はペンス氏を招いての昼食会の挨拶で、「外交的に、そして平和的に解決をしていかなければいけないことは当然」と述べたのだ。しかし、日本に代わりはあるのか?ペンス氏は、「われわれは100パーセント日本と共にある」と安心させるように述べた。
少なくとも2つの結果がこの状況の日本にはあるように見える。
1つ目は、ドクトリン的なものだ。安倍首相によって打ち出された積極的平和主義政策は、米国との協力のもと、平和的中身を失っている。さらに、この状況での日本の「平和」憲法9条改正の試みは、米国の原則、つまり、力の立場からの日本の新たな活発な軍事政策の強化としてすでに見られるに違いない。また、集団的自衛権の限定的な行使を可能にし、自衛隊の海外での活動範囲を広げる安全保障関連法は昨年3月29日、すでに施行された。
他方では、自衛隊に関する自国の立場はまだ形成の必要があるが、日本の産業界には十分実現可能な課題ではある。
ロシアの専門家はすでに、 可能性のある紛争参加への日本の急速な準備を指摘した。
以前、日本は基本的な防衛的な装備にのみ携わっていた。しかし、第2次世界大戦以来最大の戦艦であるヘリコプター搭載護衛艦「いずも」の建造プロジェクトは、日本には自国の沿岸海域のはるか向こうに軍事力を派遣する用意があることを示しているのかもしれない。「いずも」の空母化問題は終結してはいないが、米垂直離着陸戦闘機F-35Bや新型輸送機オスプレイ、無人戦闘機の艦載によって、「いずも」は恐るべき装備となる。
さらに、安倍首相は攻撃的兵器保有問題に触れて、このような議論を行う党を支持し、事態を注視すると述べた。
一方、環太平洋地域では、日本の武装化が北朝鮮の脅威とだけ関係していると同意される可能性は低い。「冷戦」のシナリオは繰り返されるかもしれない。