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14世紀の後、戦国時代(1482-1573)や江戸時代(1603-1863)において同地域での日本の影響が徐々に強まり始めた。その結果、地域でのパワーバランスが大きく変動して、琉球王国は日本と中国の板挟みという状態になった。だが同時に、自国の独立を守るよう尽力した。
赤嶺氏は、この瞬間から琉球王国の運命は既定されたとの見解を述べる。とはいえ琉球王国はアジアの主要プレーヤー2国間のニッチを探し続け、文化的に日本国家に完全に統合されることはなかった。沖縄の地位は1872年に日本の政府が一方的に琉球藩を設置、1879年に琉球王国を併合して沖縄県を設置する(琉球処分)までは、決定されたものではなかった。また赤嶺氏は、日本の県としての沖縄の地位が正式に固定されたのは、第2次世界大戦が終了し、国際社会の同意によってのみだったと確信している。一方、1972年になってようやく、沖縄は47番目の県として日本に完全に復帰した。
このような一義的ではない琉球王国の歴史を受けて赤嶺氏は、現在沖縄で、独立を求める、大きくはないが十分はっきりした動きが存在していることを驚くべきことではないと見ている。2014年、沖縄独立派は、70年代末には非常に低かったスコットランド独立運動を、国民投票実施に必要なレベルまでいかに引き上げたのかを学ぶために、代表をスコットランドに送りさえした。
様々なデータによると、沖縄独立を支持しているのは地元民の35-45%。沖縄の運命はまだ曖昧であり、米国以外、中国の要素で複雑化しつつある。