また、沖縄平和運動センターの山城博治議長は、日本での軍事基地建設を、容認できない「戦争への道」だとして、平和を守るよう呼びかけた。山城氏はまた、6月中旬にスイスのジュネーブで開かれる国連人権理事会で沖縄の情勢についてスピーチする方向で調整していると発表した。
山城氏と沖縄の人々の声が、強固な日米同盟に反して国連での世界の政治家たちに聞き入れられるチャンスは有るのだろうか?
アジア太平洋研究センター日本部のビクトル・シュヴィドコ部長は、次のように確信している。「スピーチの可能性はある。しかし実際には、米軍基地のテーマが50年代から続いている沖縄はすでに、『永い歴史』だ。そして近いうちにそれが終わることは確実にない。長年の間、沖縄での運動は、政府への圧力を目的にした抗議を示す、ただの恒例の形式になった。それは、現実的な可能性のある状況変革の見込みを欠いたものだ。日本では同時に、非常に強い平和主義運動が行われている。そしてこの本質的なファクターは無視できない。多くの日本人は、日本が紛争の外にとどまる必要があると考えている。もしそれが、日本の国益に直接触れない他者の戦争ならなおさらだ。同時に、沖縄は島に米軍基地があるために、反撃を受ける可能性があるのだ。そのため平和主義運動は沖縄で、すでに伝統的に、日本の他の地域よりも強いのだ。」
今日、朝鮮半島での緊張激化を受けて、沖縄人は今までになく、彼らこそが北朝鮮ミサイルの標的だと認識している。この事実が、沖縄の抗議の平和なシナリオを変える可能性はあるだろうか?ビクトル・シュヴィドコ氏によると、沖縄での抗議の過激化への傾向は実際に非常に高い。
安倍首相は、米軍基地が日本に留まること、そしてこの事実を考慮する必要が有ることをよく理解している。しかし、強い反対気分もまた、なんとか克服する必要がある。最も検証済みで明らかな解決方法は金銭だ。そのため沖縄に対する安倍首相の政策は恐らく、依然として「飴と鞭」に似たものになる。卓越した日本専門家ドミトリー・ストレルツォフ氏はそのような見解を示す。
「一方では、中央の予算から補償金によって、基地がある場所に住む人々を保障する。沖縄は完全に補助金の上に成り立っているため、これは基本的に以前もあった。つまり、この政策は続けられる。しかし他方では、全く急進的な動きは押しつぶされるか、黙らされる。全体的な国家レベルでは、沖縄の声は現在でもあまり聞こえていない。それは、日本人が沖縄に対して、どちらかと言うと特別な領土もしくは地方のように接しているためだ。」
また、航空機が出す騒音による精神的苦痛の他に、沖縄人は米軍兵士による環境汚染や、空軍基地近くでの犯罪率上昇も懸念している。金銭はこの不便さを補償できるのだろうか?