ミニバレーは、1972年、北海道・大樹(たいき)町発祥の競技とされている。その後、東京でのミニバレー・フェスティバル(全国フェスタ)は恒例のものとなり、 毎年ジャパン・カップ競技会が開かれるほか、国際的な親善試合なども 行われている。またミニバレーが誕生した日である3月2日に愛好者達は、ミニバレーのクイーン(女王)を選んでいる。ミニバレーのマスコットは、ウサギのミワだ。なおミニバレーの掲げるモットーは「であい・ふれあい・わかちあい」であり、幼い子供から高齢者まで、幅広い年代が楽しめる生涯スポーツとされている。
このバレーボ-ルのいわば「弟分」といえるミニバレーの、基本的な特質は、まさに誰にでも楽しめる点にある。しかしまだ競技人口は多くなく、様々な数字があるが、日本でも10万人を超える程度で、ロシアではやっと始まったばかりだが、すでに確実な進歩を遂げている。ロシア・スポーツ省連邦スポーツ予備人的資源訓練センターの責任者で、ソチでのミニガレー協議会の主任審判を務めるバイル・ナイダノフ氏は、スプートニク日本記者のインタビューに応じ「ミニバレーがロシアで普及し始めたのは、2002年のことで、それはまずサハリンからだった」と伝え、次のように続けた-
「サハリンで、ミニバレーが発展したのは、サハリン大学のピョートル・パスノコフ教授のおかげだ。長い間このスポーツは、サハリン島内だけの限られたものだった。しかしその後、極東やシベリアの諸地域にも広まっていった。
そして2011年、全日本ミニバレー協会会長の 小島秀俊さんが、このスポーツをサンクトペテルブルグでの国際会議でデモンストレーションした。私はそこで小島さんと知り合い、彼のマスタークラスで指導を受け、実際どんな年齢の又どんな肉体的状態にある人達にとっても、ミニバレーが素晴らしい元気の源になることを理解するに至った。
2012年から、ロシア選抜チームは、定期的にジャパン・カップに参加している。我々は、北海道や沖縄まで、日本の様々な地域を訪れた。日本で我々は、このスポーツがいかに民主的で誰にでも楽しめるものなのかを確信した。
小島さんも何度もロシアにいらしている。2014年には、日本チームが、ウランウデで開かれた『バイカル杯』国際トーナメントに積極的に参加した。この大会には、75チームが参加した。昨年2016年、小島さんは、ウラジーミル国立大学での『黄金の輪』トーナメントを視察された。そして今回のソチでも、我々は小島さんの訪問を心待ちにしている。」
ナイダノフ氏の意見によれば、ミニバレーは、学校での体育の授業において理想的なスポーツ種目だとの事だ。氏は「なぜなら、このスポーツは、肉体的又技術的訓練のレベルの高低に関係ないからだ」と指摘し、さらに次のように述べた-
「ミニバレーは、ケガをすることが極めて少なく、就学前児童を含めた子供達の身体活動発展の問題を効果的に解決する。ルールも分かりやすく、説明も数分で十分だ。ボールは50グラムしかなく、ネットも155センチと高くない。フィールドも縦6メートル、横9メートルと手ごろだ。チームでプレーするための潜在的可能性が、かなり高い。普通ロシアの場合、学校の体育館は縦12メートル、横24メートルで、バレーボールコートは一面しか取れない。でも、普通のホワイトテープでそれを区切れば、ミニバレーの場合、三面取れる。バレーボールのプレーヤーは12人だが、ミニバレーであれば、その2倍の24人がプレーできる。他の生徒がプレーしている間、ベンチで暇を持て余すこともない。皆プレーができる。生徒の中には、プレーするのを恥ずかしがる者もいるし、様々な理由をつけて体育の時間に出ない生徒もいる。
ミニバレーにとって、制限はない。日本で我々は、肩から両腕を失ったスポーツマンにお会いした。若いとき彼は、バレーボールをやぅていたが、恐ろしいケガをした後、絶望の淵に立ったという。その彼にとってミニバレーは、まさにおぼれかけた人生から彼を救う『救命浮輪』となった。我々が彼のもとを訪れた時、日本チームのこのベテラン・プレーヤーは、何と92歳だった!
もちろん、勝つためには当然ながら、戦術というものがある。練習もしなければならない。しかし全体として、ミニバレーは、特別の肉体的あるいは技術的訓練を必要としない。大変愉快で、心地よいと同時に熱くなれるスポーツだ。一方学校の体育の時間にとっては、理想的なものといえる。」
柔道や合気道、空手など日本のスポーツ種目に対するロシア人の関心が極めて高いことを考慮すれば、ミニバレーが、その誰でも区別なく楽しめる特質から言って、ロシアで最も人気のあるスポーツになるチャンスがある事は疑いがない。シベリアやサハリンのいくつかの町では、すでに学校ばかりでなく、幼稚園でも子供達が、ミニバレーを楽しんでいる。
そもそも日本で生まれたミニバレーが、急激に普及したのはマレーシアやタイ、中国、ベトナム、韓国、モンゴルといったアジア諸国だった。モスクワで今年10月に開かれる世界青年学生祭典には、150カ国からの参加申し込みが寄せられているが、ナイダノフ氏と彼の仲間達は、祭典の中のデモンストレーション行事として、日本のミニバレーのマスタークラスを催し、平和友好杯モスクワ・ミニバレー大会が組織できないものかと考えている。
ナイダノフ氏は、スプートニク日本記者のインタビューの最後を、次のような言葉で締めくくった-「かつて日本は、我々にこのスポーツを贈ってくれた。人々が、ミニバレーについて知るようになり、そのモットー『であい・ふれあい・わかちあい』の精神を共にできるよう、私は心から願ってやまない。」