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その結果、マスメディアの中では、モスクワ中心部での抗議の行進に、およそ4-5千人が参加したと伝えたものもあったが、これらの数字は事実を正確に反映していない。なぜなら通りを歩いている多くのモスクワ市民の中で、誰が抗議行動参加者で、誰がそうでないのか見分けるのは難しいからだ。抗議行動参加者の中でも、スローガンを声高に叫んだり、プラカードを手に持ったりしていた人は少なかった。
地方においてしばしば抗議行動の組織者となっているのは、地元の活動家達である。地元の権力当局が無視している何らかの未解決の諸問題が、彼らの抗議の理由だ。
ロシアの政治学者ドミトリイ・グーセフ氏は「今回のような行動は、全体的な不安定化につながるリスクを内包している」と指摘し、次のように続けた-
「今日一人が、集会を利用している。なぜなら誰かが、彼を怒らせたからだ。明日には彼の場所に、他の人物が現れる。これは一種の自己再生構造で『雪だるま』式に拡大してゆく。」
行動する主な力となったのは、若者達だった。政府が決めた祝賀行事は、彼らにとってとりわけ魅力的なものとは言えない。彼らは、多くの否定的現象に我慢できずにいる。
経済・政治変革センターのニコライ・ミローノフ所長は「若者達は、もうそれほど政治化されていない」とし、次のように続けた-
「単に彼らは、たいへんエネルギッシュに行動し、注意を引き付けている。一部のグループにとって、特にモスクワの若者達にとって、ナヴァリヌィ氏は、ただ単に人気、彼らにとってのライフ・スタイルのようになったのだ。」
また政治社会学研究所のヴャチェスラフ・スミルノフ所長は「今後ロシアで、抗議行動や集会参加者と警察隊との衝突が起きるだろう。そうした事は多くの国々で普通のことだ」とし、次のような見解を示した-
では、もし権力当局が、抗議を怖がらないのであれば、何のために警察は、多くの人を拘束したのか? 今、多くの拘束者達は、15昼夜までの行政逮捕、そして罰金1千ルーブルから2万ルーブルの処罰を受けることになる。こうした事は、事態の悪化を止めないばかりか、あべこべに若者達の怒りに火をつけ逆効果になっている。
警察が、治安を守る義務があるのは言うまでもないが、今回の出来事について、社会学者のミハイル・ヴィノグラードフ氏は「当局に行き過ぎがあった」とし、次のように続けた-「権力当局には、集まった人達が、特別危険ではないことを示すチャンスがあったが、それを逸した。国家の祭日に、いろいろな人が混じった群衆の中で、警察が集会などを解散させたことは、当然ひどいことだ。まして警察が、人々を乱暴に解散させ逮捕しなければ、抗議行動参加者自体の間でさえ、抗議は失敗だったとの感じが生じたろう。ドライブは決まらなかった! 警察自身が、抗議行動に意味を与えてしまった。テレビ映えするシーンを用意してしまったのだ。しかし事実は、社会の中に、様々な原因により生まれた不満も含め、多くの爆発できずにいるエネルギーが溶け込んでいるという所にある。権力当局は、その事を熟慮しなくてはならない。」
ロシアのプーチン大統領がこの事についてどう考えているのか、6月15日、大統領は、生放送で直接、自分の考えを述べるだろう。