同社は国営持ち株企業ロステフ(Rostec)の傘下に入っており、戦車以外に路面電車の車両など民生品の製造もしている。2017年中に民生品の割合を全体の1割まで上げることを目標にしている。
見学と言っても、残念ながら戦車製造ラインの見学は許可されていない。2016年春、様々なメディアから「戦車製造過程を見学できる軍需観光ツアー開始」というニュースが出たが、ウラルワゴン工場のユリア・コルマコワ広報課長は「戦車製造ライン見学を外国人に許可したことは一度もない。そのような報道は何かの誤解ではないか」と話している。ともかく現在、外国人が立ち入れるのはウラルワゴン工場の歴史を知る博物館と、装甲車両博物館だけである。
歴史博物館によると、ウラルワゴン工場の建設がスタートしたのは1931年5月8日。当時はソ連指導部による農業集団化に反対した人々が土地を奪われ、ウラル地方やシベリアで強制労働させられていた。「特別移住者」と呼ばれた元農民や政治犯は劣悪な条件下で、素手で作業していた。多くの犠牲を出し、5年間かけて工場は完成した。当初は社名の「ワゴン」の名の通り鉄道車両を製造していたが、戦争が始まると状況は一変。ウクライナのハリコフから疎開してきた技術者らの力で、ウラルワゴン工場は戦車工場に姿を変えたのである。戦時中は8歳の少年を含む四千人の子どもたちが働いていた。鍋やスプーンといった日用品も自分達で作り、人々は着の身着のままで労働していた。独ソ戦で一躍有名になった「T-34」はこうして作られていたのだ。
ニージニー・タギル市は、人口約35万人の典型的な企業城下町。市民のほとんどがウラルワゴン工場の関係者であり、筆者を案内してくれた人も祖父の代からウラルワゴン工場で働いているという。最新鋭の医療センター、アイスホッケーのためのリンク、文化宮殿という名の劇場など、市の規模から考えれば贅沢な設備が揃っており、文化宮殿内にはプーチン大統領も訪問した最新の会議設備がある。この文化宮殿は、ウラルワゴン工場の戦車のおかげで対独戦に勝利できた、というわけで、戦後のご褒美として建設されたものだ。ウラルワゴン工場の関係者は「ニージニー・タギルという市を残すことは企業の死活問題。他に条件の良い都市はいくらでもあるので、子どもたちがここで働きたいと思ってくれるように、また両親が安心して働けるように、文化・スポーツ施設を充実させなければならない」と話す。
ウラルワゴン工場のアレクサンドル・ポタポフ社長は「工場全体に対する需要は増えており、人員削減は全く考えていません。民間用で最も期待しているのは貨物車両、道路建設機械、農業用キャタピラー付きトラクターです。強力な武器を持っているほど穏やかに暮らせる、とよく言われますね。私は戦車を納入するときはいつも、『これが戦場でなくて、演習にだけ使われますように』と言っています。製造者として、我々の家族が平穏に暮らせるように、質の良いものを作っていきます」と話している。