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そもそも筆者がネヴィヤンスクに立ち寄ったのは偶然だった。筆者の一行は産業博覧会「イノプロム」のため訪問したエカテリンブルグから、戦車工場見学のためニージニー・タギルという街に向かっていた。ネヴィヤンスクはちょうど両者の中間に位置するため、寄ってみようという話になったのだ。
ネヴィヤンスクには300年以上前から製鉄工場があり、その創始者の名をとってこの町は「デミドフの帝国」と呼ばれていた。まず工業発展のためにピョートル大帝の命を受けた実業家ニキータ・デミドフがウラルにやってきて、その息子のアキンフィー・デミドフも、この地に根を下ろした。この息子こそ、ウラルの鉱山産業を発展させた優れた企業家であり、ネヴィヤンスクの斜塔を建てた人物でもある。しかし建築家の名は記録されておらず、斜塔は多くの謎に包まれている。アキンフィー・デミドフが自分の功績を称えるために、ロシアに小イタリアを作ろうとして意図的に斜塔を建てたという説や、二度と同じような塔を作らせないため塔から建築家を落として殺してしまったという説もあるが、真偽のほどは定かではない。
© Sputnik / Asuka Tokuyama写真展の看板
写真展の看板
© Sputnik / Asuka Tokuyama
塔の7階と8階には1730年に作られたイギリス製の音楽時計が設置されている。今でも現役で美しいメロディーを奏でており、これほどの素晴らしい時計はイギリス本国にも残っていないと言われている。この時計の値段は、塔の総建設費よりも高かった。
1890年には製鉄工場の大火事があり、その後のロシア革命によってデミドフ一家が失脚するなど、ネヴィヤンスクは災難に見舞われた。今では、ここは典型的な静かなロシアの田舎町となった。しかしネヴィヤンスクの斜塔は今でもピサの斜塔を相当意識している。ネヴィヤンスク博物館では今年4月から10月まで、「反映」という題で両斜塔を比べる写真展を行っている。立地条件からして闇雲におすすめはできないが、エカテリンブルグからであれば車で一時間。ロシアの隠れたお宝を見に行ってみるのも一興だ。