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1944年17歳だった田中さんは志願して満州の関東軍に入隊。そこで砲弾の破片により片目の視力を失う。1945年にはソ連軍の捕虜となった。終戦後も帰国せずそれからの全生涯をロシアで過ごすも、常に祖国を目にすることを田中さんは夢見ていた。
田中さんの夢の実現のため、シベリア抑留問題を研究する富田武・成蹊大名誉教授をはじめとするロシアと日本の多くの人々が助けの手を差し伸べた。
9月30日、東京ロシア語学院では田中さんと、田中さんの日本行きに助力した人や田中さんの人生に関心を抱く人々の交流会が開かれる。10月1日には田中さんはロシアに戻る。
先ほど、19日に行われたロシア・サハリン州のコジェミャコ知事との直接対話中、日本人女性への叔父の愛のストーリーを語った。