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これほどイデオロギー的対立が白熱した状況で、ミサイル攻撃警報システムが警報を出した時に核のボタンを押さないことは、非プロフェッショナリズムの極地か、世界を核戦争から救うという偉大な使命の極みのどちらかになる。そしてペトロフ元中佐は1983年9月26日、それをやってのけたのだ。
そこでペトロフ元中佐は状況を分析し、コンピュータ・システムが間違っているとの仮説を検討し始めた。この状況下で最も困難だったことを後に尋ねられたペトロフ元中佐は「最も深刻な試練は、次々とミサイル発射を伝えて毎分繰り返されるミサイル攻撃警報」だと答えた。
#maleby: Человек, который спас мир: кем был Станислав Петров? https://t.co/XjZdWC3c3C #belarus #minsk pic.twitter.com/dSl2kEMnXB
— Мужской.БЕЛ (@mag_maleby) 23 сентября 2017 г.
警報は全部で5回出されたため、人間業ではない忍耐が必要とされた。だがペトロフ元中佐は視覚情報による発射に関する情報を根気よく待った。だがレーダーはミサイルからの熱放射を全く検出できなかった。恐怖とリスクから、警報が出されたが偽情報だと思われると司令官に伝えようと電話に手をかけた。これほど世界が核戦争に近かったことは一度も無かっただろう。あらゆる指示にかかわらず、彼は僅か数分間で全責任を負うことを決意できた。安心してゆっくりと息を吐けたのは、23分後に決断が正しかったことを裏付ける情報を得てからだった。こうして、この恐ろしい夜の出来事は、人的ファクターがどれほど重要かを示す。1つの誤った決断で全てが灰燼に帰す可能性もあるのだ。
後に、警報が誤作動した原因が明らかになった。雲にかかった日光に反応していたのだ。
Кем был Станислав Петров из Фрязино, который остановил ядерную войну: https://t.co/LByO6X9GmV
— Подмосковный Андроид (@YablokoMO) 21 сентября 2017 г.
その後、米国でペトロフ元中佐についてのドキュメンタリー映画『赤いスイッチと世界を救った人間』の撮影が始まった。主演はペトロフ元中佐自身が演じ、ケビン・コスナーやロバート・デ・ニーロ、アシュトン・カッチャーやマット・デイモンなどハリウッドスターが出演するこの映画は2014年に公開された。
2017年、1983年の遠い秋の夜に地球の全人類の命を救う決断をし、私たちに希望を与えてくれたペトロフ元中佐は質素なモスクワ郊外のマンションの1室で死去した。