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諜報活動をもとにしたこの文書によると、メキシコシティのソ連大使館の電話は当時、米情報機関によって傍受されていたという。この文書には、オズワルド容疑者がKGBと何らかのつながりがあった、あるいはKGBがケネディ氏暗殺に直接関与していたと推測するような記述はない。
オズワルド容疑者がメキシコシティのソ連大使館に現れた当時の状況については、すでに以前から知られている。オズワルド容疑者と面会したオレグ・ネチポレンコ副領事(当時)は、オズワルド容疑者がソ連に入国するためのビザを発給するよう依頼してきたと述べている。
今回機密解除されたCIAの文書には以下のような記述がある。「傍受したメキシコシティからの通話によると、オズワルド容疑者は1963年9月28日にソ連大使館を訪問し、ワレリー・ウラジーミロビッチ・コスチコフ領事と面会した。このことは、10月1日にオズワルド容疑者がソ連大使館に電話してブロークンなロシア語で自分の名を名乗り、前述の面会について話したうえで、電話に出た警護員に、『ワシントン宛の電報について』何か新しいことはないかと尋ねたことで明らかになった。この警護員は調べたうえでオズワルド容疑者に、問い合わせは上司に送ったがまだ何も受け取っていないと話した」。
この文書ではコスチコフ氏はKGBのエージェントであったとされ、同氏に関する詳細なファイルが本文に添付されている。KGBのエージェントではないかとCIAが考えていたのがコスチコフ氏だけなのか、あるいはオズワルド容疑者についてもそう疑っていたのか、この文書からははっきりしないままだ。
また、機密解除されたCIAの1966年の別の文書では、ケネディ氏の暗殺がソ連国内に衝撃をもたらし、ソ連各地の教会で鐘が鳴らされるということさえあったとの記述が見つかった。