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チュヴァシ人と言っても、外見から見分けるのは不可能だ。筆者がある修道院を訪れたとき、金髪碧眼の司祭と、黒髪で黒い目の観光ガイドの女性が、ともに「チュヴァシ人」と名乗ったことに驚いた。聞けば、同じ両親から生まれた兄弟でも、ヨーロッパ人風の子どもとアジア人風の子どもがいることは普通らしい。ある説では、チュヴァシ人の約2割が純粋なヨーロッパ人っぽい見た目をしており、残りの人々はどこかにアジア人の特徴を持っていると言われている。名前から判別するのも難しい。ロシア人と同様に、キリスト教の聖人にちなんだ一般的な名前が多いからだ。
というわけで、その人がチュヴァシ人かどうかは本人に確かめてみるしかない。チュヴァシ人に限らず、異民族同士で結婚することはよくある。混血が進んだ今、自分が民族的に何人なのかは、アイデンティティの問題だ。何人かのチュヴァシ人に「例えば父親がロシア人で母親がチュヴァシ人だったら子どもはどうなるの?」と聞くと、「それはチュヴァシ人でしょ!」という答えが返ってきた。ということは、少しでもチュヴァシ人のルーツをもっていれば、チュヴァシ人と名乗っているのかもしれない。
チュヴァシ共和国のコンスタンチン・ヤコブレフ文化大臣は、チュヴァシ人の特長について次のように話している。
「かつてチュヴァシの住民は、ほとんどが村人でした。大都市がなくて小さい村がぽつんぽつんとあったので、農村の慣習を通して民族の独自性が継承されました。チュヴァシ人が歴史の中で最適の選択をしてこれたのは、辛抱強さ、優しさ、平和を愛する穏やかさといった特長のおかげでしょう。チュヴァシ人は他のテュルク系民族がそうであるように、イスラム教徒(※それ以前は土着の神々を信仰する多神教だった)でしたが、大部分がキリスト教を受け入れました。しかしイスラムを信仰するタタール人とは、いつも平和に共存していました。タタール人の作家が記録に残したところによれば、チュヴァシ人は正教会への改宗を迫られたとき、抵抗をせず受け入れました。しかし、自分たちの土着の信仰の儀式は残し、伝統を忘れないようにしました。タタール人も正教会への改宗を迫られましたが、彼らは拒否しました。正教会の司祭がやってきて無理やり洗礼を受けさせようとしたとき、タタール人はチュヴァシ人の家に逃げ込み、チュヴァシ人も積極的にかくまってあげました。チュヴァシ人は、司祭とも、タタール人とも、衝突することはありませんでした。このような、平和を愛し誰とも争いたくないというメンタリティは、現在まで残っています」
チュヴァシ人がロシアで一番平和を愛する、というのは決して誇張ではない。ロシア科学アカデミー民俗学・文化人類学研究所によれば、2009年から2013年におけるロシア連邦構成主体(都道府県のようなもの)における衝突・紛争度のランキングで、チュヴァシ共和国は最下位だ。ちなみに、ダゲスタン共和国、カバルダ・バルカル共和国、スタヴロポリ地方、イングーシ共和国など、北コーカサスの自治体が軒並みランキング上位を占めている。
一神教を受け入れる前、自然を敬う多神教を崇拝していたチュヴァシの人々は、火を崇める信仰があったにも関わらず、いけにえを捧げることはせず、お粥などをお供えしていた。また、現在モスクワでチュヴァシの文化を広める活動をしているアナトーリー・グリゴーリエフ氏によれば、モスクワにはチュヴァシ人の就職を専門に扱う転職エージェントがあるという。ロシア中から職を求めて若者がやってくるが、チュヴァシ人はよく働き、他の労働者と問題を起こさないので、モスクワの人事担当の間で評判がよく、喜んで採用してもらえるのだ。
外見や人種で差別意識をもたず、他者の伝統を自分たちの伝統と同じくらい大事にし、争いを避けてきたチュヴァシ人。ロシアで一番平和を愛するということは、ロシアで一番寛容、ということなのかもしれない。