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SCOTの制作担当者、重政良恵さんによれば、鈴木氏にとってロシアとのつながりは長く深い。SCOTのソ連初公演は1991年の「ディオニュソス」だった。2004年にはモスクワ芸術座で芸術監督オレグ・タバコフ氏の依頼により「リア王」を演出。モスクワ芸術座といえば、モスクワ芸術座の演出家であり演劇教師だったコンスタンチン・スタニスラフスキーが考案した世界的に有名な俳優教育法「スタニスラフスキー・システム」が誕生した場所だ。重政さんは当時を次のように振り返る。
重政さん「当時、鈴木の俳優訓練法は『スタニスラフスキー・メソッド』と真逆だと思われていたため、彼がモスクワ芸術座のために芝居を手がけることは、日本演劇界に大きな驚きをもって受けとめられました。鈴木は自らオーディションで配役を決め、選ばれた俳優たちはロシアから利賀村まで来て合宿を行ない、鈴木が考案した訓練法『スズキ・トレーニング・メソッド』を受けたのです」
結果、鈴木氏はこの業績により、ロシアの権威ある賞「スタニスラフスキー賞」を受賞。舞台も高評価を得て、「リア王」はモスクワ芸術座のレパートリーになった。2007年にはタガンカ劇場で芸術監督をしていたユーリー・リュビーモフ氏の依頼でギリシャ悲劇「エレクトラ」を演出した。これも成功をおさめ、タガンカ劇場のレパートリーに入った。
このほかにも鈴木氏は、ロシア人を含む世界各国の演劇人とともに1993年に舞台芸術祭「シアター・オリンピックス」を創設。2001年にモスクワで行なわれたシアター・オリンピックスではロシア大統領府(クレムリン)に招かれ、プーチン大統領と意見交換を行なった。
ソ連崩壊直前の1991年から定期的にロシアを訪れている重政さんは「ロシア人は演劇についての教養が深く演劇を愛する気持ちがとても強い人たちです。物のなかった時代でも劇場がいつも賑わっていたのがとても印象に残っています」と話している。