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「 ロシア国立バレエ・モスクワ」は、最近モスクワの劇場ファンたちの間で絶賛されている評判の劇場だ。同劇場と他のオペラやバレエ劇場との違いは何か?一つ目は、同劇場にはクラシックとモダンの2つのグループがあるため、最大限多彩なジャンルの作品を上演することが可能であり、表現手段も限定せずにすむこと。2つ目は、同劇場の演目はロシア及び外国の振付師によって同劇場のダンサーたちのために特別につくられたものであること。3つ目は、真に「国際的」な劇場という点だ。ダンサー、芸術監督、作曲家、振付師の中には、ロシア人、ドイツ人、フランス人、スロバキア人、イスラエル人、オランダ人、オーストラリア人、そして日本人がいる。この多彩な顔ぶれが、同劇場をロシアの舞台芸術界におけるユニークな存在にしている。同劇場が、ロシア国家劇場賞「ゴールデン・マスク」を一度ならず受賞しているのも不思議ではない。スプートニクのインタビューで、「 ロシア国立バレエ・モスクワ」のディレクター、エレーナ・トゥピセワ氏が同劇場の歴史と主なコンセプトについて語ってくれた。
「劇場は1989年にロシアと世界のバレエの古典的伝統とバレエ芸術の現代的方向性を融合する実験的な劇場として設立されました。そして2012年に大きな変化が起こりました。例えばボリショイ劇場のような殿堂とその伝統、ひとつの様式化された技、練習及びリハーサル用の充実した施設や装備、豊かな舞台装飾などとは張り合えないことを私たちは認識したのです。そして自分たちにしかないものを見つけ、独自の道を選ぶことにしました。私たちが行っているのは、伝統と実験の間の境界での作業です。私たちはロシアや欧州からすでに有名な振付師、また若くて将来性のある振付師を招き、彼らに自分の演目用のダンサー、テーマ、音楽、照明などの選択を白紙委任し、彼らの想像的アイデアを実現するための自由を与えています。彼らと一緒に私たちはユニークな舞台をつくりだし、欧州のバレエ流派とロシア・バレエの伝統を組み合わせて生まれた21世紀のバレエを披露しています。振付師たちは私たちの劇場のために特別に演目をつくったり、あるいは今はもうどの劇場でも上演されていない演目を『蘇らせて』います。それがクラシックであろうとモダンダンスであろうと、舞台上ではユニークで豊かな動きの表現、視覚的、音楽的装飾を持ったオリジナルバレエとなるのです。」
2016年、ドストエフスキーの小説をモチーフにした「 ロシア国立バレエ・モスクワ」のバレエ「カフェ白痴」が現代舞踊部門のロシア国家劇場賞「ゴールデン・マスク」を受賞した。振付は、振付専門のロシアの芸術監督アレクサンドル・ペペリャエフ氏。
2017年には最も優れたベルギーの振付師の1人、カリン・ポンティエス氏の振付による「すべての道は北へ導く」という演目が同じく現代舞踊部門で「ゴールデン・マスク」を受賞した。なお最近の演目には、アンデルセンの物語に基づく子供のためのバレエ「親指姫」もあり、毎回チケットは完売だという。
2017年のシーズンは、レフ・トルストイの同名の小説をモチーフにした「クロイツェル・ソナタ」で幕を閉じた。振付は、カナダの新星振付師ロバート・ビネット氏。
「 ロシア国立バレエ・モスクワ」では、日本のバレエダンサー、浅井恵梨佳さんと、西島勇人さんが活躍している。お2人がスプートニクのインタビューに応じてくださった。
スプートニク:モスクワに来たきっかけはなんですか?初めてロシアを訪れたのはいつですか?
浅井恵梨佳さん:日本のあるコンクールで「スカラシップ賞」をいただきました。これはボリショイ・バレエ学校へ入れる招待の賞でした。そして14歳の時にロシアに初めて来ました。2004年のことでした。コンクールの審査員にボリショイ・バレエ学校のレオノワ校長がいて、レオノワ先生からの招待でボリショイ・バレエ学校に入ることができました。学校では4年間学びました。最初は不安もありましたし、楽しみという気持ちもありました。学校に入学して一番気に入ったのは、バレエをする環境がとても整っていたことです。毎日バレエ漬けで生活できることが嬉しかったです。最初に一番苦労したのは言葉でした。ロシア語がまったくわからなかったので、最初にポンとロシア人のクラスに入ったときには、何を言われているのかわからなくて、怒られていても笑うしかありませんでした。でもバレエのレッスンでは、先生が体を触ったり、見本を見せて教えてくれたので、なんとなくわかりました。ロシア語は1日4時間、バレエ学校のロシア語のカリキュラムの中でマンツーマンで勉強しました。
西島勇人さん:僕は2009年3月に初めてロシアを訪れ、ボリショイ・バレエ学校で1ヶ月間研修しました。ロシアのバレエがすごいということは知っていましたが、はじめは自分がロシアでバレエをやっていけるのかということもわかりませんでしたし、ロシアの環境に僕が適応できるかもわからなかったので、2009年の3月に研修とオーディションを兼ねて来させていただきました。ロシアに来たのはこの時が初めてです。ボリショイ学校に決めたのは、僕の母がバレリーナで、母の尊敬している先生に相談したところ、やはりロシアがいいのではないかということで、皆さんの意見を伺ってロシアに留学することにしました。僕は12歳までサッカーをやっていました。母がバレリーナなのでバレエには触れていましたが、バレエを本格的に始めたのは12歳の時です。12歳から15歳までは、母の教え子さんの教室に通わせていただいていました。一番苦労したのは、サッカーで身につけた反射神経や運動神経という動きの速さがバレエで役に立っていることは多いと思いますが、サッカーで使う筋肉や足の形などはバレエにはまったく適していないことが多くて、サッカーは外の筋肉、バレエは内側の筋肉だったりと、筋肉の使い方が間逆だったことです。そういう面では苦労したこともあります。
スプートニク:「 ロシア国立バレエ・モスクワ」に入団された経緯を教えてください。
浅井さん:2009年にボリショイ・バレエ学校を卒業して日本に戻り、その後カナダで1年踊り、また日本に戻り、招待されながら踊ったり、教えたりして約6年日間日本にいました。そしてバレエの先生になるためのディプロマを取ることにし、モスクワに来ました。「バレエ・モスクワ」で働いていた勇人君に今のロシアについて教えてもらったところ、勇人君から「バレエ・モスクワ」に招待してもらい、バレエ団に入ることに決めました。ディレクターも気に入ってくださったので入ることができました。本当はクラシックバレエを踊りたいんですが、「バレエ・モスクワ」にクラシックバレエがなくてオリジナルの作品ばかりなので、いつも自分を探し、研究しながら、どうやったらよく見えるかなど自分なりに考えて舞台を目指すのが楽しいです。
西島さん:「バレエ・モスクワ」には2014年に入団しました。いま4シーズン目になりました。「バレエ・モスクワ」の一番の強みは、クラシックというレパートリーがなく、コンテンポラリーやネオクラシックというジャンルだけで公演を行って、お客さんにも来ていただけていることです。ディレクターのエレーナさんもいろんなことに挑戦していて、モスクワだけどいろんな海外の作品を皆さんの前でできるのが強みかなと思います。
スプートニク:モスクワでのプライベートについて教えてもらますか?
浅井さん:体を毎日酷使し、毎日6~7時間動いていて、1週間に1日とか、10日に1日の休みなので、休みの時は何もせずに休みたいです。休みの日はフリーでとにかく体を休めたいので、あまり外に出かけたりせずに家にいます。ロシア料理の中では、赤カブのサラダなどが好きです。モスクワの生活でなかなか慣れないのは寒さです。いつもダウンを3枚くらい着て、さらに中にも4枚くらい着ているので、着替えているとみんなにびっくりされます。
西島さん:モスクワでは楽しく過ごしています。サッカーもよく観ますし、友達とも遊びに行きます。ロシア人は優しいですし、日本の人たちよりも感情表現が豊かなので楽しいですし、気に入っています。バレエをして生活させてもらっていることが、今自分にとって一番嬉しいことですし、けがをして一年間踊れなかったことがあるので、他の私生活よりも、バレエができることが今一番幸せなので、すごく満足しています。