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チュルキン氏は、米国のリビア介入を批判した。ウクライナ問題をその根源で解決しようとした。シリア戦争が始まった時には、国連安保理決議案に拒否権を6回行使した。これは他国の平和と関係のない自国の利益を追う国々の怒りを呼んだ。
チュルキン氏の死後、最も手厳しい西側の外交官でさえ、チュルキン氏が常に正しかったことを認めずにはいられなかった。
英国のライクロフト国連大使は「我々は多くの問題に関して彼(チュルキン氏)に同意していなかったが、私は常に彼が問題や立場に関係なく正直で、まじめな同僚であることを理解していた。私はヴィタリー(チュルキン氏の名前)から学んだ教訓を決して忘れない」と述べている。
2017年2月20日、ロシアのヴィタリー・チュルキン国連大使がニューヨークの国連本部で心臓発作のため死去した。仕事に生き、仕事場で亡くなった。