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1990年代初頭から、ロシアでは第2の日本ブームが起こっている。日本食レストラン、日本映画、日本のアニメ、武道、伝統芸能など、すべてが誰でも手にできるものとなった。しかし、大きな空白も残されていた。それは現代の日本はどのように生きているのかということである。この空白を埋めたのが、現代日本に関する唯一の雑誌「KiMONO」である。この雑誌は日本の文化、芸術、現代社会を内側から紹介する雑誌として、ロシア人によって創刊された。「KiMONO」の出版者であり編集長でもあるエカテリーナ・ステパノワ氏がスプートニクのインタビューで、雑誌の歴史と特徴について語った。
スプートニク:誰が雑誌を創刊しようと思いついたのですか?きっかけは何ですか?
ステパノワ:私はアイデアを実現するまでの険しい道のりを「KiMONO」とともに歩みました。そして、考えていたことが実現したときは、最高の気分でした!私の家族はモスクワと東京を頻繁に往き来していました。私がロシアに帰ってくると、いつも友人や知人が日本についていろいろと訊いてきました。私も喜んで多くのことを話していました。そんなあるとき、読者が日本について自分の関心ある点を知ることができる雑誌を出版してはどうかと考えたのです。ブログやウェブサイトを作る方が簡単だったと思いますが、全て(フォント、レイアウト、デザイン、アートワーク)が日本のものでありながら、ロシア語で書かれているという、オーセンティックなものを作りたいと思ったのです。そこで、私は、これは雑誌しかないと思いました。けれど、他のどのマスコミともの違うものでなければならないと思いました。
伝統文化、観光、東京で生きていく方法についての記事はいくらでもあります。専門のウェブサイトやオンライン出版物もあります。けれど、日本の現代美術、ハイファッション、デザイン、建築について書かれたものは極めて少なく、ほとんど皆無の状態でした。これらのテーマは私にとって身近なものでした。というもの、私の最初の専門はデザインだったからです。そして、これこそが、現代のロシアのクリエイティブな若者が日本について関心を抱いているポイントだったのです。こうしてアイデアが生まれ、後から連載内容が決まりました。
スプートニク:創刊号が出たのはいつですか?どうして「KiMONO」と名付けたのですか?
ステパノワ:すぐに「KiMONO」という名前が浮かびました。この雑誌はロシアの読者のために作られたものなので、簡単でわかりやすく、瞬時に日本が連想されるような名前が必要でした。「キモノ」という言葉は理想的でした。この雑誌の創刊号が出たのは2016年10月です。第7号まではオンラインのみの出版でした。第4号が出る頃には、私たちがやっていることは特別なことであり、さらに発展させていかなければならないのだと気付きました。SNSでオンライン版を広めれば広めるほど、良い反応が多くなりました。数ヶ月後には、読者から紙媒体の雑誌を求められるようになりました。そして、 2018年1月、紙媒体の第1号を印刷しました。
スプートニク:雑誌のコンテンツはどのように作られていますか?日本語からの翻訳、ライター記事、独自取材記事、インタビューなどですか?
ステパノワ:「KiMONO」のコンテンツはすべて、モスクワと東京で活動する編集部スタッフが自ら制作しています。最初はすべての記事を自分たちで書いていましたが、今は10人以上のライターが「KiMONO」のために記事を書いています。撮影、文章、デザインはすべて独自のものです。「KiMONO」のインタビューはどれも独占インタビューであり、私たちはそれを誇りに思っています。日本の有名人が自分の仕事を語り、私たちは彼らに必ず、ロシアについてどう思うかという質問をします。ロシアの有名人も日本の各都市をまわった旅行の印象を語ってくれており、私たちはそのストーリーを、時としてかなり露骨なものもありますが、掲載しています。「KiMONO」はインタビュー、アート、ファッション、旅行、美容、料理の6つのセクションから構成されています。
また、著者が日本での生活、人間関係、礼儀、習慣、特徴を語るコラムを各号に掲載しています。著者はミュージシャン、デザイナー、アーティスト、作家、美容専門家、企業家、建築家、俳優、料理人、発明家など、現代日本について語るべき内容を持った人々です。
スプートニク:読者からのフィードバックはありますか?「KiMONO」にしかない、「KiMONO」らしさとは何だと思いますか?
ステパノワ:読者からのフィードバックにはSNSを利用しています。定期購読者からアドバイスや謝意を記した多くの手紙をいただいています。私たちが紙媒体の雑誌を発行したのも、読者の要望によるものです。ご存知の通り、雑誌の制作は決して安いものではありません。読者の支持がなければ、私は決心できなかったと思います。「KiMONO」らしさは、これが現代日本をロシア語で語る、最初にして唯一の雑誌だということだと思います。