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浮遊するポリエチレンの円筒、コンピューターで増殖させた隕石の断片に漢字が記され、人間の声が組み込まれたもの、来場者に襲いかかるデジタルの海の波、奇妙な作品やコラージュなど、このアート展での出会いには度肝を抜かれる。ロシア人が想像する日本文化とはあまりにも違いすぎるのだ。アート展の主催者は、まさにそれを見せたかったと強調する。つまり、日本の現代アートとは、伝統工芸の継承だけではなく、また、カラフルでキッチュでアニメっぽくてカワイイもの、例えば、今冬にモスクワの「ガラージ」美術館で紹介された村上隆氏の作品のようなものだけではないということを見せたかったのだという。
もっとも感動的な作品のひとつが、大西康明氏の「垂直の量」である。
床と天井の間を浮いたり沈んだりする白半透明のポリエチレンの円筒は、山の端にかかった雲のような風景画を思わせる。作者の大西康明氏がスプートニクのインタビューで、出展作品の共通点は何なのか、明らかにコスモポリタン的な外観を持ちながらも、これらがまさに日本アートである所以は何なのかを語ってくれた。
スプートニク:今回モスクワで展示されている作品はすべてさまざまで、似ているものはほとんどありませんが、共通点はありますか?
大西康明:日本の村上さんとか、ポップアートとかカワイイとはまったく違う作品が今回集まって、まったく違う方向で、例えば僕の作品でも、現象とか、ただ空気を入れたり出しただけど、レコードから音が鳴るのも現象ですよね、行為とか、そのひとときに起こる何か、そういうことにアーティストは興味を持って、すごく些細なことだけど、そこに感覚を研ぎ澄ますような作品が集められているような気がします。
スプートニク:一人ひとりがそれぞれの世界観を伝えているのですか?
大西康明:そうですね、世界観とか・・・、世界とどう接するかみたいなことを、僕の作品でもそういうところがあるような気がしますね。世界観を創るというよりも、今ある現実の世界とどう付き合うかとか、その世界をどのように見るかということじゃないかなと思います。
スプートニク: 大西さんがモスクワにもって来られた展示品のアイデアはどう発生しましたか? 「山の雲」とおっしゃいましたが。
大西康明:山とか雲に見えるけど、そこから始まったわけではなく、始まりは空気を見えるようにするとか、空気はもともと見えないけど、それをいかに見るかということだったと思います。でも、そんなに空気を大事にしましょうとか、水を大事にしましょうというメッセージではなくて、日常で見えないものを見て、ある世界を見るような、そういうきっかけを作りたい。そんなに強いメッセージはないんですけど。
スプートニク:このモダンアートは日本の伝統と関係がありますか?
大西康明:僕ので言えば、「間」というか、エンプティ・スペースとかに興味があって、これも簡単に言えば、ざっくり言えば「間」ですね。無いもの、「空洞」とか「無」だけども、そこには何かあるというか、なんか器のようなエンプティ・ボウルでもいいんですけど、何かが入る可能性があったり、何かが入っていたけど、どっかにいっちゃったというような解釈を持てるような、「からっぽ」とか、「空洞」とかというものを、僕の場合は日本の昔からある、日本人が考える「空洞」というものを作ってみたと考えています。今回モスクワの人たちの、出会うきっかけになるようなことは、今回に限らず、これからもやっていきたいし、今回モスクワで、人が新しいことを、たとえば「雲」とか簡単に言うけど、ときどき考えもしなかったことを言う人がいるんですよ。そういうのを期待していて、体の内蔵のこととか、脳のこととか、突然そういうことを言われると、すごく面白いなと思っていて。その人の見方というのを、僕は今回のモスクワで、そういうのを得ることができれば嬉しいです。
アート展「新しい日本」は資生堂の支援のもと、モスクワで開催されている。資生堂はデザイナーやアーティストの極めて大胆な実験を支援することで、日本の新たな美と芸術を積極的に創造し続けている。アート展の開催は6月まで。
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