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『大東京』は1932年、ソビエト版と日本版が撮影された。日本では1933年7月に初上映され、ソ連では同年12月に初上映された。だがそのどちらもが、政治的理由をはじめとする様々な理由から両国で長年忘れ去られていた。日本のアーカイブから映画は見つからずに終わったが、ソ連版はロシアのアーカイブで最近発掘され、日本での上映に提供された。
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— UPLINK (@uplink_jp) 19 мая 2018 г.
亀井文夫の作品はソ連と大きく関係している。1929年〜1933年にかけて亀井はレニングラード(現サンクトペテルブルク)で映画芸術の教育を受けた。これは後に監督としての特徴、そして日本ドキュメンタリー映画の伝統形成に多くの影響を及ぼした。祖国に戻った亀井は『戦ふ兵隊』を制作したが、反戦的作風から上映が禁止された。そして『小林一茶』放映後は逮捕された。第2次世界大戦後、亀井は映画産業に戻った。劇映画を数本作ったが、ドキュメンタリー映画こそが亀井に栄誉をもたらした。
「このテーマに関する私の本が最近出版された。東京での上映ではちょうど、著書に関するプレゼンテーションが行われる。残念ながら、著作権に関係する可能性もあるので大きなインタビューをすることはできない。だが1つ言えることがある。ロシア映画と日本映画のディティールにおける繋がりは歴史上に非常に鮮やかな1ページを残した。とはいえ、残念ながらそのことについて、多くの人々にはほとんど知られていないのだが。」
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