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前日10日には、モスクワの「全ロシア博覧センター」で、甲冑などの武者の武具や装束を身につけた参加者による武者行列行進が行われた。流鏑馬はロシア人にとって日本文化の新たな側面だ。現代日本では、流鏑馬とは競技ではなく、神事で披露される儀式であることを誰もが知っているわけではない。モスクワでの実演も、このような神事から始まった。
スプートニク: 流鏑馬は850年の歴史があるそうですが、この歴史を現代の日本で受け継ぐのは難しいですか?
小笠原 清基さん:はい、大変難しいです。それはいくつもの理由がありまして、まず一つ目は道具が作れなくなってきました。これは非常に問題です。もう一つは環境です。伝統的なものを続けていく環境が日本にはあまりないので、続けようとすると凄く苦労を重ねないと出来ません。この二つは大きいかなと思います。また流鏑馬等の伝統的なものをやりたいという人達も減ってきていますので、稽古をする人数が減っているという状態です。
スプートニク:流鏑馬の人気を高める方法は何かありますか?例えば色々なイベントに参加することや映画とかテレビドラマに出演するとか。どうお考えですか?
小笠原 清基さん:映画、ドラマ、ドキュメンタリー映画等に出ています。ただ基本的には俳優さんがされますが、出来ない部分を吹き替えで代わりにします。どうしても今という時代は便利な時代になっているじゃないですか。例えば家にいてポチッと押せばわざわざ買い物にいかなくても物が届いたり、こういった伝統的なものはそういう世界とは真逆で、どちらかというと辛い思いをしたり、苦労することも多く、そういうものを今の人たちはなかなか受け入れてくれないので、そこを変えれば人は入ってくると思います。ですがそれをやってしまうと、伝統として本当に継いでいく価値がなくなってしまうと思いますので、数が少なくなったとしても伝えるべきことをしっかり伝えていきたいなと思っています。
小笠原 清基さん:まず、この流鏑馬というのは、小笠原流というものはですね、プロではありません。皆他に仕事を持ちながら伝統的なものを継いでいます。私もそうです。ですのでその時間を作れる人、これがまず第一です。そして怖がらない人、やはり馬の上で手を放すわけですから怖いと思ってしまう方にはちょっと向かないと思います。思い切りのよさ、やるしかない、と思える人の方がいいと思います。そして努力出来る人ですね。やはり才能がある無いという問題ではなくて、大変な事であってもしっかりとそれに向き合って努力をし続けられる忍耐力のある人が向いているかなと思います。体が強いとか動体視力はあまり必要ではありません。
スプートニク:現在日本で流鏑馬という伝統を受け継げる方はどのくらいいますか?
小笠原 清基さん:小笠原流で流鏑馬を行っている方は70人位だと思います。年齢は下は10歳から上は72歳までいます。私は三歳から始めました。今は女性が増えまして今回も三人女の方が来ています。
スプートニク:皆様の主な練習は木の馬と聞きましたが、本物の馬は日本の馬ですか?それとも輸入された馬でしょうか?
小笠原 清基さん:はい、木の馬は今でも乗ります。我々の稽古は生きている馬に乗った稽古は殆どしません。木の馬で大人になってもずっと稽古をします。それは武士が作ってきた形、技、技術、これをまず自分達で習得をしないと意味がない、という考え方です。我々は自分専用の馬は持たないようにしています。日本全国色々な場所で流鏑馬をやりますが、現地で馬を借ります。今回のように一日や二日で借りてきた馬を使えるようにしています。なのでその借りた馬が日本の馬かもしれないし、どこか外国の馬かもしれません。それはまちまちですね。
スプートニク:借りた馬の食事やグルーミング等の世話は別のスタッフがしますか?
小笠原 清基さん:いいえ、自分達でやります。なぜかというと、短い時間でその馬を流鏑馬に使う、つまり走っている馬の上で手を放して弓を引くということをしなければならないので、なるべく馬とのコミュニケーションを取らなくてはいけないです。馬のお世話をすると、この馬はお腹を触られるのが嫌だ、お尻がちょっと苦手だ、など馬の性格がわかるのでむしろ馬の世話をしないとコミュニケーションを取るのは難しいですね。
スプートニク:今回はロシアの馬を使っていますが、馬とのコミュニケーションは上手く取れていますか?やはり馬に馴れる、逆に馬が人に馴れるまでには時間が掛かりますか?
小笠原 清基さん:外国の馬は本当に性格が良いというか、馬としての質が高いと思います。日本の馬よりコミュニケーションが取れる方はコミュニケーションが取りやすいです。しかしコミュニケーションが取れない方は凄く難しくなってしまいます。ですので上手な人にとってロシアの馬は扱いやすいですが、技術があまりない人はロシアの馬は逆に難しく感じてしまうと思います。
小笠原 清基さん:流鏑馬という名前がつくようなったのは11世紀頃です。流鏑馬という名前がついてからは、これはお祈りの為の儀式です。例えば穀物が沢山採れますように、平和な日々が過ごせますように、等々です。日本の伝統文化をロシアの地で、今回日本政府とロシア政府の合意の下で行うという機会ですので、小笠原流という一つの団体としてやるというより、日本の伝統文化をロシアの方に披露するという気持ちでしようと、普段以上に一生懸命やりたいなと思っています。
スプートニク:ロシアでは馬と関係のある芸術、スポーツはだいぶ前から存在していますが、ロシアの事は何かご存じでしょうか?モスクワの短いご滞在中、ご印象はいかがでしょうか?
小笠原 清基さん:ロシアはスポーツで有名ですよね。ただやはりプーチンさんが有名ですね。モスクワを今回空港からここへ来る間にバスから見ました。三月に一度流鏑馬の打ち合わせでこちらへ訪れた時、クレムリン等を見学させていただきました。天井も高く造りが豪華でなかなか日本には無い建築様式だと思いました。日本はどちらかというとシンプルなんですね。無駄を省いていって無駄を無くしてそこに美しさを求めるんですが、ここは色々と飾りを付けてそして美しさを出す、日本と真逆の考え方だと思います。なのでこの形はこの形で綺麗だと思います。
モスクワで行われた流鏑馬で馬を提供したのは、ロシア騎射協会。同協会は、世界20カ国が加盟する世界騎射連盟のメンバー。