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ナチス党員・ドイツ人新聞記者という名目で日本に滞在したゾルゲは、ドイツ大使館を情報収集の主な拠点とし、在日ドイツ人社会やドイツ大使の絶大な信頼を得る。ナチス・ドイツがソ連に侵攻する正確な日時をモスクワに伝えるなど、スパイとしては超一流だったが、最終的に特高警察に逮捕された。
ゾルゲは刑の執行直前に「世界の共産党万歳」と言い残したとされており、死の瞬間まで自身の信念を貫いた。この美学が評価されてか、多磨霊園にあるゾルゲの墓を訪れる人は絶えず、命日には花が手向けられている。
日本におけるゾルゲの研究は、元朝日新聞モスクワ支局長で、ゾルゲに関する著書も多い白井久也氏を中心に進められてきた。白井氏は日露歴史研究センターを創設し、ロシアの研究者と協力して研究を行なってきた。
日露の有識者が出席したゾルゲ事件の国際シンポジウムは、東京・モスクワのほか、ノモンハン事件のあったモンゴルや、ゾルゲの生まれたアゼルバイジャンなどでも開催されている。
© Sputnik / Asuka Tokuyamaゾルゲをテーマにした研究会
ゾルゲをテーマにした研究会
© Sputnik / Asuka Tokuyama
ロシア科学アカデミー東洋学研究所・日本研究センター長のエレーナ・カタソノワ氏は、白井氏と親交が深く、日露歴史研究センターの顧問を務めている。カタソノワ氏は、日本では当時、ロシアよりも積極的に研究が行なわれてきたと指摘。謎に満ちたゾルゲのテーマは人気があったという。
スターリンの大粛清時代、ゾルゲはその功績を無視され祖国に見捨てられていたが、1964年にはゾルゲを英雄と見なして勲章が授与され、その後記念碑が建立された。またその反動で、女好き・アルコール中毒・ドイツの二重スパイ、などといった言説もある。
カタソノワ氏は、「ゾルゲは過度に持ち上げられたり貶められたりと、評価・意義が時とともに変化している。ゾルゲはドイツ大使館から多くの貴重な情報を得ており、ソ連の利益を守りながらも、ドイツのために働かないといけない立場だったため、二重スパイだと勘繰る声が出るのだろう」と話した。
研究会では、日本やドイツの研究者らとのより緊密な連携、頻繁な交流を求める声があがった。
ロシアでは、国営放送「第一チャンネル」で間もなく、ゾルゲをテーマにした全12回のテレビドラマが公開される。