スプートニク日本
ミハイロフスキー学長はスプートニクのインタビューで次のように述べた。「この間、私たちは彼女を留学生だとは考えなくなりました。彼女は私たちの生活にとても馴染んでいるからです。山口さんはこれまでにすでにいくつかの個展を経験し、今は卒業制作に取り組んでいます。私は彼女のことを嬉しく思いますし、アカデミー内に民族、宗教、政治的主張による隔たりがないことを誇らしく思います。重要なのは学びたいという気持ちと才能です・・・」
2017年の春、モスクワのギャラリー「トリウンフ(勝利)」で山口さんのロシア初の個展「空虚と無の間」が開かれた。2018年夏には、山口さんの作品は展覧会プロジェクト「克服」と第6回モスクワ国際青年芸術ビエンナーレの出展作品に選ばれた。山口さんは現在、卒業論文の執筆で忙しいにもかかわらず、スプートニクの記者の質問に答えてくれた。
スプートニク:ロシアに来てすぐの頃に最も辛かったことは何ですか。ロシア語の習得にどれくらいの時間がかかり、その中で最も役に立ったことを教えてください。
山口恵都: やはりロシア語の壁でしょうか。アカデミーの教育はシステマチックなので言葉での理解は不可欠です。美術留学なのに言葉でつまずいてしまったら本末転倒でしたので、必死になって勉強しました。ロシア語の件ですが、もうあまり覚えていないのですが、半年後くらいにはすでに自力で外国人課に書類関係の話などをつけにいったりしていました。やはりロシアの友人達とのコミュニケーションが一番の手助けとなりました。私はアカデミーで唯一の日本人でしたので、日常的に日本語を話すことから離れたのが大きかったのではないでしょうか。
スプートニク:あなたの専門はグラフィックですか?どうして芸術の中でもこれを選んだのか教えてください。
スプートニク:ペテルブルグでの生活で楽しいことは何ですか?一番嫌なことは何ですか?
スプートニク:ロシア料理は好きですか?ペテルブルグで好きな場所はありますか?ペテルブルグとモスクワ以外の場所にも行ったことがありますか?ご両親はロシアに来ましたか?コーラスは続けていますか?
山口恵都: 最初は、ロシア料理は私の口に合わず、日本食ばかり食べていましたが、時間の経過と共に大好きになりました。今ではトヴォーラク、ボルシチ、グレーチカ、ウハー、黒パン大好き人間です。ペテルブルクでは蚤の市・ウヂェリナヤと古着屋巡りが趣味です。ロシアのストリートファッションシーンが気になります。ロシア国内ではビボルグ、プスコフ、ノヴゴロド、カルーガ、エカテリンブルク、クロンシタット、ウスチュグ、ソチ、クラスノヤルスク、カリニングラード、ハカシア共和国に行きました。両親をロシアに一度連れて来ました。数年前まではペテルブルクの女声合唱団で歌っていましたが、今は残念ながら歌っていません。いつでも準備はできているのですが。
スプートニク:日本に帰る計画は立てていますか?
山口恵都: 内側からしか知らなかった日本から出てきて、日本を外側から見ることができました。この状態から日本へ戻り、またさらに内側から見た時に何がどう見えるのか大変興味があります。自分の目で見て確かめたいので、いつかは日本に戻りたいと思っていますが、まだ当分はロシアに居たい気持ちが強いです。知らぬ間に未知の大国にこんなにも魅せられてしまったようです。
山口さんのグラフィック作品はロシアの音楽グループ「イェスチ・イェスチ・イェスチ」にも注目され、アルバムの表紙をデザインしてほしいと依頼された。作品ができあがったとき、アルバムは山口さんにちなんで「ケイトのための物語」と名付けられた。