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両国政府が交渉を始める前日、1955年6月2日付の機密文書は「外国軍の基地を置かないという条件の下、両国関係が良好な方向に発展していく場合には、歯舞諸島と色丹島の引き渡しの交渉を始めることは可能だ」としており、当時のモロトフ外相が作成した案をフルシチョフ第1書記、ならびにブルガーニン首相が承認する形となっていた。
また、同日付の文書からは日本に対する影響力を強め、米国の政治・経済的立場を弱めようとするソビエト政府側の意向もうかがえる。
ソビエト政府による当該文書の承認後間もなくして、両国政府は国交正常化に向けた交渉を開始し、翌56年10月19日にはソ日共同宣言(日ソ共同宣言)に署名した。同宣言は同年12月12日に発効している。また、同宣言には「外交関係の回復」「戦争状態の終結」等が記されていた。
その後、ソビエト政府は1960年に日米安全保障条約(新安保条約)が締結されたことを受け、2島引き渡しの義務を解消している。同年1月27日付の同政府の覚書は「日本から外国軍の撤退が行われた場合に限り、2島の引き渡しが行われる」としている。
歯舞諸島、色丹島、国後島、択捉島などからなる「南クリル諸島」は、日本では「北方領土」として広く知られている。
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