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2019年の今年、ロシアは第二次世界大戦に勝利した日から数えて74年目の5月9日を迎える。1945年4月16日から5月8日にかけてソ連軍は「ベルリンの戦い」に挑んでいた。これは西部戦線における最後の作戦で、ナチス・ドイツの無条件降伏という結果をもたらした。この作戦1つをとっても、ソ連軍の犠牲者数は35万2千人に達する。
ロシア人にとってこの祝日は特別な意味を持つ。それは当時のソ連が途方もない犠牲と引き換えにこの勝利を手にしたからだ。歴史家の分析によると、ソ連ではこの戦争中に軍人、民間人を合わせ、2600万人以上の尊い人命が奪われた。第二次世界大戦でソ連が払った犠牲者の数はなんと米国や英国の20倍に達する。
戦争の結果、ソ連では数百万の世帯が家族の大黒柱を失った。だからこそ、孫たちの平和を守るべく立ち上がった祖父母を追悼し、謝意を表するのがこの日の慣習なのだ。どんな家族の歴史にも、それぞれの「戦争」がある。
1945年6月24日、モスクワにある「赤の広場」は凱旋パレードの歓声に沸いた。その日以来、軍事パレードはモスクワの伝統となっている。この日、ロシア全土では戦没者の慰霊碑に献花が行われるほか、祝賀コンサートや戦場の再現イベントが開催され、さらには祝砲も打ち上げられる。
連合国(米国や英国、フランス、カナダ、オーストラリア)やヨーロッパ諸国、およびウクライナやバルト三国(かつてソ連を構成していた共和国)では5月8日が公式に祝われており、「ヨーロッパ戦勝記念日」の名を冠している(Victory in Europe Day, またはV-E Day)。
ただし、ロシアとヨーロッパでは時差の関係で戦勝記念日の日付にズレがある。ナチス・ドイツが降伏文書に調印したのは5月9日に日付が変わる前夜のことで、それはモスクワ時間の0時43分だった。そのため、調印の瞬間、モスクワは日付の上で5月9日に入っていたことになる。しかし、中央ヨーロッパ時間では23時43分だったため、ヨーロッパでは5月8日中に戦争が終結した形だ。