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1)コナン・ドイルが処女作品『旅人とトラ』を執筆したのは6歳の時。
この作品は、旅人に出会ったトラが、彼をすぐに夕食にしてしまうという、1ページにも満たない内容だった。幼少時、アーサーはすでにリアリストで、現実を美化することはなかった。
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2)コナン・ドイルは、ジョセフ・ビル教授の指導の下、エディンバラ大学で医学を学んだ。同教授は、論理的思考であらゆる間違いや嘘を明らかにし、また、些細な事実から、その人間の過去の経歴と職業を突き止めた。ベル教授は、まさに名探偵シャーロック・ホームズのモデルであった。
4)1900年、シャーロック・ホームズシリーズの有名な小説『バスカヴィル家の犬』を執筆したとき、コナン・ドイルは、世界でもっとも高給な作家だった。
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
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5)コナン・ドイルは大のスポーツ好きだった。若い頃、彼は英国のサッカークラブ「ポーツマスAFC」のゴールキーパーで、A.C.スミスの名前でプレイしていた。その後、コナン・ドイルは、クリケットやゴルフ、ボクシングといった他の多のスポーツにも夢中になった。
7)コナン・ドイルの妻は、スイスのダボスで、高原の空気で療養することを医師らに処方された。そこでコナン・ドイルは、アルペンスキーに夢中になった。英国初のアルペンスキヤーとなったドイルは、スイスと彼の生まれ故郷で、アルペンスキーというスポーツを普及した。
8)コナン・ドイルは、実際に「アイデアの発明器」だった。彼は、水中での戦争を予見し、はじめてイギリス海峡でのトンネル建設と、船員救助のためのゴム製エアボートの製造を提案した。浮流機雷と、弾丸から体を守る防弾チョッキの製作も、コナン・ドイルのアイデアだった。
9)コナン・ドイルは、積極的にオカルト科学を勉強し、人間の死後になにが待っているのかを明らかにしようとした。またそれゆえ、「神秘主義者」とも呼ばれていた。
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10)コナン・ドイルの生涯は、冒険そのものだった。船医としてドイルは、グリーンランドからアフリカまで、世界中を旅して回った。ボーア戦争に従軍し、私財をなげうって軍病院を建設した。その際、命に関わるようなどんな状況下でも、コナン・ドイルは常に騎士として、紳士として振る舞い、公平さを貫き、そして弱者を守った。コナン・ドイルの墓石に、「鋼鉄のごとく真実で、刃のごとくまっすぐ」という言葉が記されたのは、偶然ではない。
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