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1)1412年、ジャンヌはクリスチャンの家庭に生まれた。普通の少女と何ら変わらなかったジャンヌだが、12歳の時から聖なる声が聞こえるようになった。その声は、お前の使命はフランスを 救うことだと語りかけ、ジャンヌを奮い立たせた。
ジャンヌの非凡な能力が試されたのは一度や二度ではない。後に国王となるカール7世はジャンヌとのはじめての謁見の際に、わざと大勢の貴族の中に紛れていたが、彼女は間違えることなくカール7世を見つけ出した。このようにしてジャンヌは神の使いとして認められ、仏軍の指揮をまかされることになった。
3)教会は、ジャンヌが男性の衣装を纏うことを許可し、彼女を例外扱いした。他の女性たちにとっては、男装は恐ろしい罪に相当した。ジャンヌのため、特別な騎士用の鎧が用意された。
4)聖なる声はジャンヌに対し、フランス人たちはオルレアン市を包囲網から解放すると告げた。ランスの街は今、英国軍に占領されている。だがフランス王太子の戴冠は必ずやランスで行われると。それは信じ難いことであったが、17歳のジャンヌは奇跡を起こした。 彼女の指揮する仏軍はオルレアン市の包囲を破り、奪還したランス市でフランス国王の戴冠式が行われた。
6)英国に捕らえられたジャンヌは、自分はもっぱら戦略に終始しており、剣では一滴の血も流していないこと、またキリストが描かれた旗を剣よりも大切にしていたと強調した。この証言を聞いた英国人は戦争責任ではジャンヌは裁けないことから、罪は男装にあるとし、異端を非難して火あぶりの刑を言い渡した。
7)カール7世も、仏軍の将軍も、ジャンヌを擁護することはなかった。また捕虜にとられた貴族らは身請けされ、解放されたにもかかわらず、ジャンヌは見捨てられた。フランスとフランスの王位を守るという、当初の計画を果たしたジャンヌが、フランスの権力者たちにこれ以上必要ないと判断されたのだった。
8)ジャンヌ・ダルクについては、詩人や作家が多くの作品を書いており、有名な作曲家たもこぞって彼女に曲を捧げた。勇敢な女性戦士の姿は、多くの画家たちを奮い立たせた。ジャンヌ・ダルクの生涯を題材とする映画は20本以上が撮影され、イングリッド・バーグマンやジェーン・バーキン、ミラ・ジョヴォヴィッチ、インナ・チュリコワといった世界の映画スターがその役を演じた。