実用に至らなかった5つのソ連・ロシアの軍用機プロジェクト

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ソ連社会主義革命前夜のロシア帝国で、1912年8月、軍参謀本部総局に付属し、航空工学部局を創設する勅令が下された。この部局こそが後のソ連空軍、そしてロシア空軍の前身となるものだった。以来、ロシアの航空装備ではおびただしい数の分類の航空機、ヘリコプターが実用化されてきた。だが、決して開発の全てが大量生産にこぎつけられたわけではなく、最も興味をそそるプロジェクトでありながら、設計の段階で姿を消したり、わずが数機の試作機を残し、闇に消えていったものも少なくない。

こうした幻のプロジェクトについて、軍事専門家で歴史研究家のアンドレイ・コッツ氏から提供された特別資料をスプートニクがご紹介します。

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MiG-105.11

冷戦時、米ソの航空設計局は多種多様なスペースプレーンを考案した。それらが目指したのは将来、自力で滑走し離着陸および大気圏離脱・突入を行える戦闘機機能を持った宇宙船。米国は実験的な宇宙航空機としてダイナソアX-20をソ連はMiG-105.11を考案した。MiG-105.11はその外見から非公式な通称として、白樺の皮で編んだわらじを意味する「ラプチー」と呼ばれていた。

MiG-105.11は世界初の大陸間弾道ミサイル (ICBM)であるR-7によって軌道に投入される計画だった。 1970年代末、試作機は特殊加工の戦略爆撃機ツポレフ95(Tu-95)に乗せられ、切り離しの後、音速よりも遅い速度でテスト飛行を行った。

試作機は重量3.5トン、最高速度は毎時800キロ。パイロット1人によって操縦が可能で、偵察用、空母に核爆弾攻撃を行うタイプ、宇宙空間の標的を迎撃するタイプと数種類製造された。

CC BY-SA 2.0 / Peter Albrecht / MiG 105-11 "Spiral EPOS"MiG-105.11
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MiG-105.11

MiG-105.11の唯一行われた飛行実験は事故に終わった。1978年9月13日、機体は着地で大きく損傷を受けた。プロジェクトはあまりにも高額につくことから取りやめの決定が下された。


М-50

米国の戦略爆撃機XB-70、愛称「ヴァルキリー」の開発プログラムに対抗し、ソ連は1956年の時点ですでに、このクラスの航空機の独自設計に乗り出している。

その結果、出来上がったのがМ-50。デルタ翼と矢の形の尾翼を備えたマシーンが登場した。この航空機には4つのエンジンが搭載されている。設計では航続距離は毎時最高で1万4千キロ、最高速度は時速1900-2000キロ。

М-50の試作機の初飛行は1959年10月27日。それから1年の間に11回の実験飛行が重ねられたが、それでも時速1090キロの壁を超えることはできなかった。その結果、このエンジンで音速を超えることは不可能なことが判明し、М-50プロジェクトは1961年に取りやめられた。


ミルMi-12

ソ連が開発した世界最大の重量を持つ貨物輸送用ヘリコプターで、未だこの記録は破られていない。初飛行は1968年7月10日。最大積載重量は30トン超で、大陸間弾道ミサイルの部材の輸送に運用されていた。

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ミルMi-12

一番の特徴は、主ローターを左右に配置したサイド・バイ・サイド・ローター方式。これに4基のエンジンが取り付けられている。機体重量は69トンを超える。最高速度は時速260キロ、最高高度は3500メートルを記録している。

Mi-12はわずか2機が作られただけで製造中止となった。第1機は1971年パリ航空ショーで披露されている。Mi-12は、移動式の発射台から打ち上げ可能な軽量型戦略ミサイルが開発されたために工場生産には至らなかった。


ベリエフVVA-14

1972年9月4日、ハイドロプレーン、爆撃機、雷撃機の3つの機能を融合した試作機が空中に舞い上がった。

VVA-14は水陸両用で垂直離着陸ができる航空機を目指して開発された。タスクは敵の潜水艦の発見、殲滅。1976年、アゾフ海で初飛行が行われたが、最終的には完成には至らなかった。


MiG-1.44

ソ連が第5世代戦闘機の製造に着手したのはPAKFAプロジェクト(後の制式名称Su-57)のはるか前の段階だった。

プロジェクト上ではMiG-1.44の試作機の最高速度は時速3210キロ、最高高度は2万メートル、飛行距離は4000キロ以上とされている。ステルス機能、高機動性を持った、超音速巡行機の誕生には大きな期待がかけられたが、1991年のソ連崩壊によってプロジェクトには終止符が打たれた。

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