エリート営業マン、ノボシビルスクで挫折
建築資材を扱う専門商社で活躍していた小林さんは、モスクワでの語学研修を経て、ノボシビルスク支店の立ち上げを任された。かつてアメフト選手だった小林さんは体育会系の底力を発揮し、外がマイナス40度でも飛び込み営業に出かけた。目立つために日本のハチマキを巻いていたので、ロシア人の間では「サムライが来た」と評判になっていた。しかし必死の努力もむなしく商品は全く売れず、わずか1年後に支店をたたむことになった。小林さんは当時の心境について「冬が半年も続くような環境の中で、絶望の淵に立っていました。一緒に頑張ってくれたロシア人スタッフを裏切るような形で解雇することになり、自分の無力さを痛感しました」と振り返る。
実は祖父がシベリア抑留者だったと知る
小林さんにとって全く思いがけなかったのは、ロシアで語学研修を受けたことをきっかけに、祖父が重い口を開き、自分はシベリア抑留者だったと明かしたことだ。祖父はハバロフスク近郊に抑留されていたと話したが、当時の生活の詳細については教えてくれなかった。祖父は、ノボシビルスク支店撤退とほぼ時を同じくして他界してしまい、小林さんは「今となれば、もっと詳しい話を聞いておけばよかった」と悔やむ。祖父亡き後の小林さんは、シベリア抑留者の無念さに思いを馳せることが多くなった。やがて小林さんは「祖父は幸運にも帰国できたが、志半ばで、シベリアで命を落とした日本人が何万人もいる。日本の技術や製品がロシア人に感謝され必要とされることで、ロシアとの戦いに勝とう」と思うようになった。
除菌剤「キエルキン」との出会い
ノボシビルスク支店閉鎖のショックが癒えぬまま帰国した小林さんは、大手メーカーに転職し、いったんはロシアビジネスから離れて、先進国のインフラ・プロジェクトなど大規模な仕事に携わるようになる。しかし、ロシアで見返してやりたい、という気持ちはいつも頭の中にあった。
キエルキンは、インフルエンザウイルスやノロウイルスなど、あらゆるウイルス・細菌に絶大な効果を発揮するだけでなく、子どもの口に入っても安全な成分でできている。社会人として、ひたすら営業畑を歩んできた小林さんは、キエルキンこそ理想の商材だと思い、感銘を受けた。こうして、ロシアでキエルキンを販売するアイデアが浮かんだのである。
小林さんが2018年にロシアで独自に行なった市場調査によれば、ロシア人は日本人よりも年間で3倍は風邪をひいているという。また、キエルキンは消臭効果も高く、マンションで猫などのペットを飼う人が多いロシアでは、ビジネスチャンスは無限にあると判断し、「Radical Labo Rus」の設立にふみきった。
ロシアの子どもたちにキエルキンを無償提供したい!
キエルキンの生産・販売元であるラジカルラボは、企業からの寄付で、幼稚園や保育園にキエルキンを無償提供している。キエルキンを使っている幼稚園や保育園では集団感染が激減し、安心して子どもを預けられる、と保護者からも感謝の声が届いている。小林さんは、これと同じ活動をロシアでも行いたいと考えている。
実は、会社は立ち上げたものの、まだロシアでの販売開始には至っていない。キエルキンはその効果の多様さから、除菌剤としても消臭剤としても使えてしまうのだが、販売する業界・分野ごとに個別に販売許可を得なければならず、その準備過程は、決して心躍るものではない。
また、小林さんは、「マーケティングの問題もある」と話す。ロシアの消費者の行動は広告戦略に大きく左右され、製品の中身よりも、見た目や見せ方がとても重要だという。そこへいくとキエルキンは単なる透明の液体で、ウイルスや細菌は目に見えないため、どうすればロシア人に注目してもらえるか、アプローチを検討している。
オフィスの設立に伴い、現在はモスクワを拠点にしている小林さん。将来的には、できるだけ安価で販売するため、キエルキンを現地生産しようと計画している。シベリアあらため、モスクワのサムライの熱い戦いは、始まったばかりだ。