デモンストレーションで観客をもっとも驚かせたのは、茶運び人形と弓曳童子の驚くほどに正確な人間らしい動きである。後者は頭の傾く角度で表情が変わる。的に当たると人形は笑い、失敗すると悲しい顔をする。もちろん視覚的な錯覚ではあるが、制作者の意図は観客を感嘆させた。こうした人形を19世紀半ばに初めて制作したのは東芝の創業者で「東洋のエジソン」や「からくり儀右衛門」と呼ばれた田中久重である。現在、彼 の制作した人形は世界に2体しか残っていない。
絡繰り人形は西洋ではすでに忘れ去られた存在だが、日本では精密な数学的計算と創造性と想像力を融合させた美術工芸品として今も残っている。工夫を凝らした技術、舞台劇としてのおもしろさ、洗練された芸術性、これこそが絡繰り人形の醍醐味である。人形師の玉屋は1734年発祥、九代目玉屋庄兵衛さんは1995年に玉屋庄兵衛を襲名した。現在までに大きさも用途もさまざまな人形約50体を修理・制作してきた。その大部分は日本にあるが、なかにはロンドンの大英博物館に寄贈されたものもある。九代目玉屋庄兵衛さんがスプートニクのインタビューで、自分の道、人形師に対する考え方について語ってくれた。
実は、100年以上前、絡繰り人形はヨーロッパでもロシアでも大人気だった。しかし高価であるため、皇族・王族やとても裕福な人でなければ買うことができなかった。エカテリーナ2世が孫のアレクサンドルに高価な絡繰り人形を贈ったことはよく知られている。なかには行進し敬礼する兵士の人形、鏡の前で髪を梳かす「オシャレさん」の人形などがあった。これらの人形はとても高価で稀少なものであったため、女帝自ら、孫がこの人形を壊してしまわないよう監督を命じたほどである。現在、モスクワの装飾美術博物館に古い人形師の作品がいくつか収蔵されている。
現代では「からくり」という言葉は、節約、手作業の削減、手間のかかる作業の機械化を意味する国際的な用語となっている。そうした装置は労働生産性を向上させ、大きな費用もかからない。スプートニクが調べたところによると、からくりユニットはロシアでも、空港、ペテルブルグ郊外のトヨタ自動車工場、KAMAZのトラック工場、ロスアトムの核物質製造工場「マヤク」、FAM-Robotics社などの工場で使われている。