チェルノブイリ原発事故の影響について
「1986年(チェルノブイリ事故の年)に私たちの行った予測はずっとひどかった。ガンや甲状腺機能亢進症などの病気が増加するという最悪の事態を予想していたが、実際は被ばくが最も深刻だったのは甲状腺で、他の臓器の被ばくはその数百分の1ですんだことがわかった。誰よりも被害が大きかったのは児童だったが、それは汚染された牧場で放牧された牛たちの牛乳を与えられていたからだった。ウクライナやベラルーシ、ロシアで子どもたちに甲状腺ガンの発症がみられるようになったのが1991年から92年で、それは今でも続いている。しかし、この病気は完治することができ、致命的ではない。放射能によって引き起こされた子どもの甲状腺ガンの発症数は全体で約5000人とされる。事故から34年が経過した今日、もっとも危険な放射性物質セシウム137は半減し、体外被ばくは数百分の1にまで下がっている。体内被ばくはまだキノコや野生のイチゴを食することで生じるおそれがある。
放射能の遺伝的影響に関しては、そのことをテーマとした研究が1920年代から行われてきた。放射能の影響が遺伝することは証明されているが、それは人間に関するものではない。人における放射能の遺伝的な影響は広島でも長崎でも見られていない。チェルノブイリ原発事故の後もそれらは確認されなかった。そのため、チェルノブイリフォーラム、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)の両方の報告で示されているように、現在、放射能の影響による遺伝的リスクは最小だと言える。たしかに災害処理班はこのカテゴリーには属していないが、これはまた別の話だ。」
福島について
「『福島第1原発』での事故後、私はチェルノブイリ事故の影響を受けたブリャンスク州の汚染地域で得られた経験をシェアするため日本に招待された。福島の事故自体は、爆発が突発的に発生したチェルノブイリとは比較にならない。日本の場合、巨大津波後のプロセスは予見が可能だったからだ。炉心溶融(メルトダウン)の際にベント(原子炉内の圧力が急上昇した際に内部蒸気を放出し圧力を降下させる措置)やガスの圧力を放出するといった措置を行う時間があった。水素爆発が起きたため放射性物質の放出は多かったが、その80%は海に流れ出た。住民や原発職員の被ばく量や医学的影響について、日本の行った調査は極めて入念だった。今年の終わりに、国際的な報告書『福島後の10年』が出されることになっている。その準備に私も加わってきたが、レポートが出した予測は、福島の事故ではいかなる深刻な医学的影響も想定されないというものだ。日本では、原発職員が被った過度の被ばくの例も極わずかだった、ところが、危険レベルはチェルノブイリより低いにも関わらず、人々の心理的反応はまったく同じで、恐怖、不安、疑念が残されてしまった」。
WHO批判について
チェルノブイリ原発事故では、情報不足から市民は医師に対してさえ不信感を抱いた。危険なのに、自分たちには知らされていないのではないかと疑ったのだ。しかも、新型コロナウイルスのケースと同じように、チェルノブイリ原発の事故後、批判の矛先はWHOに向けられた。
「IAEA設立の2年後の1959年、WHOとIAEAは、共通の利害に関わる問題について相互に協議することに合意し、協定に署名を行った。これがために、WHOはIAEAと手を組んだという疑いをもたれてしまった。実際IAEAは偏見をもたれて非難されないためという理由で、チェルノブイリ原発事故の住民への影響調査からほとんどすぐに外れた。WHOは調整役を買った。彼らは権威の高い科学者の出した帰結やデータを膨大に集め、治療法や勧告などを策定した。事故の影響に関する調査の科学的分野を全て担当したのが原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)。同委員会の評判は極めて高くかったのでIAEAとのいかなる関係も指摘されることはなかった。おそらくこの委員会は、事故の医学的影響に関して日本で唯一耳を傾けてもらえる国際機関だと思うが、それにはれっきとしたわけがあるのだ」。
今、どんな気構えが必要かについて
「全人類が得た教訓はひとつではありません。広島と長崎への原爆投下、チェルノブイリと福島での原発事故。これほどの規模と結果を引き起こすとは、誰も想像すらできなかった。ただしこうした状況は予想不可能な以上、事態に備えるということもなかった。確かに大惨事の際、最優先の課題は人命の救助で、救急や避難が大事であることはわかる。しかし、もうすぐ人々は、医療だけでなく、社会経済そして心理的な問題に直面することになる。不安がいっそう強まる中、この政権を信頼できるのか、否かという問題が立ち上がってくる。
私は、チェルノブイリ原発事故がソ連崩壊の要因の1つとなったと考えている。
愚かにも事故の隠蔽が図られ、メディアが小出しにしか情報を流さなかったことで、社会経済の深刻な影響と相まり、当時のゴルバチョフ大統領と政権の面々への不信感は決定的なものとなった。同じような反応は福島での原発事故の後も見受けられた。それは新型コロナウイルスをめぐる現在の状況にも関連する。
そのため、いかなる状況進展のパターンにも、危機が予見不能な結果をもたらしうることにも備える必要がある」。
ミハイル・バロノフ氏:生物科学博士、サンクト・ペテルブルク放射線衛生研究所教授、ロシア放射線防護委員会、国際放射線防護委員会のメンバー。1986年からは、チェルノブイリ原発事故の影響の評価と除去という課題に集中して取り組んでいる。バロノフ博士と放射線衛生研究所の他のスタッフによるチェルノブイリ研究の成果は、汚染地域住民の保護と医療サポートの問題で政府が決定を下す際に活用されている。チェルノブイリをテーマとする発表は国連科学委員会(UNSCEAR)の報告で広く活用されている。2000年から2006年にかけ、バロノフ博士はIAEAに勤務。ここで国連チェルノブイリフォーラムおよびチェルノブイリ研究結果に関連する国連科学委員会の2008年報告資料の学術編集者を務めた。2005年、同氏が勤務していたIAEAのチームがノーベル平和賞を受賞した。「福島第1原発」での事故後、バロノフ博士は住民の被ばく線量調査および防御措置の組織を担当するコンサルタントとして日本に招待された。現在、バロノフ教授は、「福島第1原発」の放射能事故の影響およびその克服に関する報告を作成する国連科学委員会の作業チームのメンバーとして活躍している。