ユーモアで地球をひとつに 日本人言語学者が考案の面白プロジェクト

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京都大学言語学教授で日本語についての多数の著書を表している定延利之教授が、コロナウイルにユーモアと活発なポジティブマインドを発揮して打ち勝とうと旗を挙げた。定延教授は、自己隔離で自宅でテレワークを行ううちに、100の話をリレーでつなぐプロジェクト「つなげよう、『ちょっと面白い話』」を思い付いた。話はインターネット上で紹介する。

定延教授の考えたプロジェクトとは、世界のいろんな国の人たちが面白い話を日本語で話し、動画撮影して送る。そして次の知り合いにバトンタッチしていくことで、最後は地球をぐるりと一周しようじゃないか、というもの。

プロジェクトが参加条件としているのは、動画ではコロナウイルスのパンデミックで自分がどんな暮らしをしているのかを語ること、そして見聞きしたことについての自分の印象や今の世界状況をどう考えるかを語ること。ただし、この話、面白おかしく語らないといけない。参加者の面白い語りの様子はこのサイトで見ることができる。

スプートニクは定延教授にインタビューを行い、このアイデアがどうして生まれたか、その結果をどう受け止めているかについてお話を伺った。

スプートニク: 「ちょっと面白い話」というアイデア はどのようにして生まれたのでしょう?

定延利之教授:  毎日毎日、自宅にこもってリモートワークで授業をして、会議に出ているうちに、 『何かやるべきだろう』いうきもちが私の中に蓄積されていきました。そして4月12日にある研究集会の懇親会(これもリモートでした)で、このアイデアが出てきました。それからWEBページを作って私の話をアップロードするのに3日かかりました。私に続いて話をしてくれる勇気ある第2集団(編集注:2番目から4番目の話者)の方々を見つけて、それらの方々の話をアップロードするのに9日かかりました。それでなんとかプロジェクトは軌道に乗り始めました。私は2010年から10年間 「面白い話コンテスト」 をやってきており、そのエントリー作品の一部にはロシア語の字幕も付けて公開しています。しかしこのプロジェクトはコンテストではなく、人々を励まし勇気づける趣旨でおこなわれているので、集まってくる人々も、その話の内容も、これまでのコンテストとは違っています。私にとって新しい経験です。

スプートニク:  参加者の皆さんは定延先生のお知り合いですか。ご自分で選ばれたのでしょうか。

定延教授: 私に続いて面白い話を披露してくれる第2集団の方々は、私の知り合いです。しかし、その後は、必ずしもそうではありません。たとえば、最新の5人はこれまで知らなかった方ばかりです。最終的にこのプロジェクトに何人の方が参加されるのか、私にはわかっていません。話の選択も一切おこなっていません。

スプートニク:  定延先生は、この企て を『世界のさまざまな人々のお気持ちを明るくし、冷静さを保たせるために』 作った、ということをおっしゃいました。その後どんな反響でしたか。 先生は企ての結果で満足していらっしゃいますか。

定延教授:  15番目のブラジルの話し手の方は、お話の最後で、このプロジェクトのおかげで前向きになれたと発言されています。また話し手でない方からも、『本当に心が明るくなった。日本語の勉強にもなるので、夫(オーストラリア人)にも見せている』と言っていただきました。とても嬉しく思っています。すべては、参加してくださる話し手の皆さんと スタッフのおかげです。

スプートニク:  日本語は難しい言語にも関わらず、各国で沢山の人が日本語を学んでいます。これはどうしてでしょうか?

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定延教授:  なかなか難しい質問ですが、思い当たることがないわけではありません。私はこれまで500話以上の話を集めてきました。その経験から言うと、外国の人に『面白い話をしてください』とお願いすると、『船が難破して、1人の男が無人島に流れ着いた。そして…』というような、自分とは無関係のジョークが結構出てきます。しかし、日本人に『面白い話をしてください」と頼んでも、誰もジョークを言いません。必ずジョークではなく、自分の体験談を話します。『1人1人が生きている』ということへの関心が、日本人はひときわ強いのかもしれません。そんなところが、日本語の魅力になっていて、外国の人を惹きつけていたとしたら、嬉しいのですが、どうでしょうか。

スプートニク:  自国の言語を宣伝し、全世界で普及したりすることは 「マイルド・パワー (mild power)」 の道具、と考えられています。定延先生はどう思われますか。

定延教授:  言語をきっかけに、その言語共同体の文化に興味を持つ人が現れるのはうれしいことです。しかし、それは政治家が道具のように完全にコントロールできるものではないだろう、と私は思います。そもそも言語は単なる道具ではありません。言語はユーモアのセンスが宿る場所でもあります。日本語には日本語の面白い話があり、これはロシア語に訳しても十分には面白くないでしょう。同様に、ロシア語にはロシア語の面白い話があり、これは日本語に訳してもあまり面白くないかもしれません。未知の言語を学ぶということは、その言語が持っているユーモアのセンスを獲得するということ、これまで知らなかった面白さを発見し、人生を2倍楽しむということだと私は思っています。

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