1945年9月2日、日本側の代表(重光葵外相、梅津美治郎参謀総長)、ソ連代表(デレヴィヤンコ将軍)、米国、英国、フランス、中国、その他の連合国代表が、東京湾上に浮かぶ米艦船ミズーリにおいて日本時間09時02分に日本の無条件降伏文書に調印、第二次世界大戦に終止符が打たれた。
第2次世界大戦には当時存在していた73ヵ国中62ヵ国(世界人口の80%)が参戦した。約1億1000万人が軍隊に動員された。欧州、アジア、アフリカの領土及びすべての海洋で戦闘行為が行われた。第2次世界大戦は核兵器が実戦使用された唯一の戦争(米軍が8月6日と9日に広島と長崎に原爆を投下した)。
第2次世界大戦では5500万人以上が死亡した。最も多くの犠牲者を出したのはソ連だった(2700万人)。
ロシア下院は最近、ロシアにおける第2次世界大戦終結日を9月2日から9月3日に変更した。法案の起草者は、9月3日がソ連最高会議幹部会によって対日戦勝記念日として祝日とされていたことを引き合いにだした。
9月2日から3日への突然の変更に、ロシア人歴史学者たちの意見は割れている。これは歴史的継承の問題ですらない。ロシアでは2005年から9月3日はテロリズムとの闘いでの連帯の日に制定されているからだ。これは2004年に起こった悲劇に関連している。2004年のこの日、テロリストグループがロシアの北オセチア共和国の都市ベスランの市立学校を2日間にわたり占拠し、建物に爆薬をしかけ、児童、父兄、学校職員など1100人以上を人質にとった。人質とされた人たちの多くは銃撃戦によって解放されたが、子ども186人を含む333人が犠牲となった。