「鬼滅の刃」は強い自分を作るための教科書?
2020年4月に井島氏は、「『鬼滅の刃』流 強い自分のつくり方」を刊行している。「スプートニク」は、井島氏がなぜこの本のモデルに、他でもない「鬼滅の刃」を選んだのか伺った。
「勧善懲悪なものだけではない」:登場人物と作品の意味について
そこで、井島氏は「鬼滅の刃」の重要なテーマの一つとなっているのが、人間はあらゆる困難を克服することができるストイックな力を持っているという点だと指摘している。
井島氏:「『鬼滅の刃』全体的に言えるのが、レジリエンスというものを非常に表しているということです。つまり、再起力、立ち上がる力ですね。なので、大変な時にそれでも頑張って乗り越えていくというのは、結局、その生き抜く力というものを表していることになるので、私たちは読んでいてそれに共感するし、励まされるし、自分もそうなっていきたいというふうに思うようになってきます」。
井島氏:「柱の人達は完璧すぎて近寄りがたいけれども、鬼は自分に近い気がするということで、鬼をすごく重視するという人々も少なくないです」。
そこで井島氏は、鬼の社会がどのように作られているのかを見ることによって、人々はその多くが実社会で起きていることに通ずることを発見し、驚くのだろうと考えている。
「鬼滅の刃」が持つ意味は勧善懲悪という理想につながる単純なものに見えるかもしれないが、実際はそうではないという。
井島氏:「この漫画自体は目標としては非常に明確です。鬼を倒して理不尽な世界を終わらせるというテーマがあります。しかし、だからといって、悪ければそれをやっつけるだけでいいかっていうと、そういう勧善懲悪なものだけでもないです。23巻を読むと一番わかりやすいと思うんですけど、この漫画の根底にあるのは平和に感謝することです。平和であることの素晴らしさというものを訴えているんです。今はコロナとか色々なことがありますけども、その昔から見れば、今は平和な状態であり、その平和に至るまでには多くの人たちの命がかかっていたり、多くの人達の土台の上に今があるんだっていう事実を知ろうというところが大きなメッセージとしてあります」。
「鬼滅の刃」は日本人のジェンダー意識の変化を示す
一方、井島氏は、「鬼滅の刃」は漫画やアニメの中での女性の描かれ方が大きく変化したことを証明するものだと考えている。
鬼とコロナウイルスに関係はあるのか?
井島氏:「これは少し漫画のこととは違うんですけど、日本で鬼という風に表現されたものの一番最初の恐れは天然痘だったんです。だから流行病というものも、やはり、鬼という表現をされているので、現在のコロナの状況においても、鬼の表現としてはマッチしているなーっていうところです。」
映画がR15指定ではなく、PG–12指定となったのはなぜか?
井島氏:「私も一番最初に『鬼滅の刃』の漫画を読んだとき、血が飛ぶ、首が飛ぶということにびっくりしました。それはなぜかと言うと、少年誌だったからです。『鬼滅の刃』あたりから週刊少年ジャンプは結構傾向が変わってきまして、所謂ダークファンタジーというか、バイオレンス付きの人の死がある漫画、しかも結構気持ち悪い、グロいというのが複数目立ってきました。最終的に『鬼滅の刃』は PG–12になったわけで、保護者の助言、教育が必要だという形に収まったわけですが、これは元々掲載されていた雑誌が少年誌であったということで、また作者の吾峠先生から『子供に読んでもらいたくて書いたものが子供が見れないというのはショックだ』というようなコメントもありまして、基本的に子供向けに作られた作品だったからギリギリ PG 12で抑えられたというところです」。
同時に井島氏は、日本と外国でこのテーマに対する考え方が大きく異なる理由について次のように述べている。
井島氏:「当然、海外の人から見れば、『これは R15指定だろう』というふうに思われると思うのですが、日本のこの暴力に関する代理学習、モデリングというものはちょっと海外の方からしてみると薄いというか、少ない部分として認識されることが多いです。日本の一般的な認識はそういう感じなんです。これは海外の方とはだいぶ違うのではないかなと思います」。