当初、森氏に代わって推薦された 川淵三郎は元サッカー選手で、現在、日本サッカー連盟の相談役を務める。ところが下りた森氏は83歳だが、川渕氏も84歳だ。五輪組織委員会としては、コロナウイルスのパンデミックが収束していない中で、開催までわずか5か月の今、高齢でこの大役を完全に遂行するのは困難と見たのであろう。橋本氏自身は任命後の挨拶で、残された5か月での最重要課題はコロナウイルス対策であると明言し、スポーツ界などと連携し安全、安心と思ってもらえるような体制を整えていきたいと語っている。
ロシア科学アカデミー極東研究所日本調査センターのヴァレリー・キスタノフ所長はスプートニクからの取材に「 この人選は1つには森氏の女性蔑視発言に対する償いと懺悔でしょうが、見方を変えれば男女同権という世界的な傾向に従ったのでしょう」として、次のように述べている。
「日本で普及しているMeTooキャンペーンの中で、女性への不適切な姿勢に対して厳しい批判を浴びせられた。政治的背景はここには全くなかった。森氏に反対する政治要因も、また橋本氏を押し出さねばならない要因もなかった。彼女という人選では確かに、その年齢、選手としてのバックグラウンドも大きな意味をもった。五輪開催は首相支持率が下がる一方の中で日本政府には極めて重要度が高くなっている。内閣の検知もこれで上がるはずだ。参加者を感染からどう守るかという安全、宿泊施設、距離をどうとるか、観客をどれほどの数入れるのかなど、問題はもう多々ある。これを橋本氏がやり遂げることができるよう期待している。そもそも五輪自体が開催されればの話だが。」
「尊敬する橋本聖子さん! 2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長ご就任、おめでとうございます。ロシア・パラリンピック委員会を代表してお祝い申し上げます。日本の組織委員会は東京五輪を成功させるために非常にたくさんの仕事を一貫して行ってこられました。ですから私はあなた様のご指導の下にこの活動が必ずや大きく発展していくことと信じております。東京五輪は人々を鼓舞し、人類が一丸となることを世界に示す象徴となるはずです。」
橋本聖子氏の誕生は1964年の東京五輪の開幕のわずか5日前。父親は五輪で使われる聖火にちなんで娘に「聖子」の名を与えたという逸話がある。
橋本聖子氏は7度の五輪出場経験がある。冬季五輪にスピードスケート選手として4度出場し、夏季五輪には自転車で3度出た。7度以上の五輪出場経験のある女性は世界に13人。その一人には橋本氏は数えられる。橋本氏は2008~2009年、麻生太郎外相の元で外務副大臣を務めた。実は麻生氏も1976年のモントリオール五輪に出場経験がある。2010年のバンクーバー、2014年のソチ、2016年のリオデジャネイロ五輪で日本代表団の団長を務め、2012年のロンドン五輪では副団長を務めている。