治安部隊は抗議活動を散会させるため、国内最大都市のヤンゴンなどで実弾を使用したという。約100人が負傷した。
人権擁護団体のデータによると、2月1日から3月3日の間に全国では少なくとも50人が死亡した。
このクーデターにより、ミン・アウン・フライン将軍が事実上の国家指導者となった。同将軍は1年間の非常事態を宣言し、ミン・スエ副大統領が大統領代行に就任した。
2月1日に軍部が再び民主主義へのコミットメントを表明し、1年間の非常事態体制の終了後に選挙を実施することを約束した。また、大規模抗議行動と市民による不服従運動を非難した。