当時、ソ連の未来の宇宙飛行士の部隊には全部で20人が配属されていた。彼ら全員が、長期隔離と高圧力、酸素欠乏、高温(最大70度)、無重力、過労が人間の身体と精神にどのような影響するかを調査するため、多くの訓練を受けていた。潜在的能力のある宇宙飛行士は恐怖に打ち勝ち、高ストレスの中で任務にあたり、極度の集中力を有することが求められた。専門家委員会の評価に際しては、作業テンポや感情性、失敗の特徴、宇宙飛行士の自己批判レベルといった多くの要因を考慮することが必要だった。こうした指標では情熱に関しても重視された。たとえば、宇宙にはメランコリックな人がいられる場所などないと考えられた。ガガーリンは神経系のタイプで多血質と分類されていた。
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打上げが行なわれるまで、宇宙飛行士は極限状態にどう反応するか明らかではなかった。そのため、異常な状況下では人間は宇宙船の操縦が不可能となることまたは機器を破壊することに対し、特別な対策が講じられていた。手動操作を行なうには、宇宙飛行士は封がされた封筒をあける必要があり、その中には数学の問題が書かれたリストが入っていた。その問題を解くには宇宙飛行士は操縦パネルのロック解除コードを得る必要があった。幸いにも、ガガーリンはこうしたことに対処せずに済んだ。
ガガーリンは34歳の若さで亡くなったが、しかし、人類の記憶に永遠に刻まれている。3月12日、英国のエリザベス女王2世は、オンライン形式での科学フォーラムの参加者に、60年前にロンドンでガガーリンと面会した時の思い出について語った。「彼は魅力的な人でした。私ははじめての宇宙飛行士という事実が彼をそんな風に特別な存在にしたのだと思います」。ガガーリンはどんな人物だったかという質問に対し、女王は笑顔で、「彼はロシア人でした」と応じた。