ドミトリー・ムセルスキーは1988年、ドネツク州マケーエフ生まれ。8歳でバレーボールを始め、14歳の時にバレーボール専門の寄宿学校に入学、17歳のときにはベルゴロドチームの代表としてスーパーリーグでプレイした。2010年にはロシア代表チーム入りを果たし、2011年、代表選手としてワールドリーグ、世界選手権を制し、ファンの間では「マルィシ(=ベイビー)」の愛称で親しまれ、一躍アイドルとなった。ロシア代表選手として171試合に出場、2012年のロンドンオリンピックでは金メダルを獲得した。2018年にムセルスキー選手は「サントリーサンバーズ」に入団。2年の契約を結んだが、2020年に契約延長となった。2018/2019シーズンには得点王に輝き、2020/2021シーズンには「サントリーサンバーズ」のメンバーとしてVリーグ優勝、最高殊勲選手賞(MVP)に選ばれた他、ベスト6も受賞した。
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「スプートニク」からのインタビューに応じてくれたムセルスキー選手は、東京五輪について、五輪大会でのロシアチームと日本チームの可能性について、そして日本の印象について語ってくれた。
スプートニク: 選手にとって、五輪大会で、無観客で試合をするというのはやりにくいことですか?
ムセルスキー:特にやりにくいということはないと思いますが、いつもとちょっと違う感じはあるでしょう。楽しいお祝いの雰囲気がかなりなくなってしまうのは間違いないと思います」。
スプートニク:東京五輪でのロシアチームと日本チームの可能性についてどのように評価していますか?
ムセルスキー:今の段階で予想するのは難しいですね。国際試合はもう2年ほど行われていませんし、チームのメンバーも大きく入れ替わる可能性があります。そして新型コロナの状況もあり、オリンピックに向けてどのチームがよりよい状態に仕上げてくるか分からないという部分もあります。
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スプートニク: ご家族とともに日本で生活されて3年になりますが、日本の生活にはもう慣れましたか?
ムセルスキー: ええ、かなり慣れました。もっと言えば、わたしは日本のすべてがとても気に入っています。文化、生活習慣、規律正しさ、責任感、すべてのアプローチにおいて系統的に細かいところまで熟考されているところなどです。日本人が何かするときには必ずみんなで力を合わせて、すべて綿密に計画し、それぞれの役割分担や係を決めて実行します。さらにあらゆる可能性を予め考え、システム全体を作り出します。これには本当に感嘆します。その質の高い作業の裏には、事前準備のための多大なる努力があることを理解するからです。ただ、ときどきこれが重荷になるときもあります。まったくシンプルな基本的な問題を解決するときには、やりすぎかなと思うことがあるのです。何事にも、しかるべきバランスというものが必要ですね」。
サントリーサンバーズのサイト上にあるプロフィールの中で、ドミトリー・ムセルスキー選手は好きな言葉は「Never give up!」、好きな食べ物はパスタ、好きな飲み物はやさしい麦茶、趣味は写真で、ブログをやっていて、サンバーズの自慢は団結力だと書いている。
ムセルスキー選手は、身長が2メートル以上あることから、日本での生活は楽なことばかりではない。ドアをくぐるのも大変で、バスタブに浸かるときには体を半分に折り、洗面台でひげを剃るのにひざまづかなければならないときもあるという。しかし、こうした不便なこともムセルスキー選手はユーモア精神でとらえ、日本の生活について動画を撮影し、インスタグラムやティックトックに投稿している。これらのおもしろ動画は数千回、再生されている。