定期的なラジオ放送が始まったのは1921年の夏であった。その頃から、全国的に電柱にスピーカーが広く設置されるようになり、それを通してニュースやお知らせ、政府からの指示、そして交響曲などが流されるようになった。
1941年6月22日、ソ連中の人々は、他でもないこのスピーカーから伝えられるニュースにより、ナチスドイツ軍がソ連領内に侵攻し、戦争が始まったことを知った。当時、有名なアナウンサーのユーリー・レヴィタンが、ほぼ毎日ソビエト情報局からのニュースとソ連軍最高司令官からの司令を伝えた。またソ連時代の特徴となったのは、家庭での有線放送受信機の登場である。人々は、ラジオのスイッチを入れて、国内、国外の出来事を知ったり、お気に入りの演奏家の音楽を聴いたり、リクエスト番組を楽しんだり、「ラジオ演劇」という放送で戯曲に親しむことができるようになったのである。ラジオは、テレビが一般的なものになってからも、もっとも大衆的な情報源であり続けた。
1929年10月29日、ラジオ「コミンテルン」、後の「モスクワ放送」が初めて、ロシア語とドイツ語での放送を開始した。これがモスクワから世界各国への外国語放送の始まりであった。世界2番目の国際放送を行なったBBCが登場したのはそれから3年後、そして「ヴォイス・オブ・アメリカ」が放送を開始したのは1942年2月である。1930年、「モスクワ放送」はドイツ語、フランス語、英語による放送を毎日行うようになり、各言語のネイティブスピーカーがアナウンサーを務めた。放送には、文学番組なども登場し、またボリショイ劇場のオペラの中継も初めて行われた。1940年7月1日、「モスクワ放送」は中国語放送を開始。そして1942年4月1日には、ハバロフスクから日本向け放送が始まった。
1993年、「国際放送局、モスクワ放送」をベースに、ロシア国営ラジオ放送会社「ロシアの声」が設立された。20世紀末には、短波と中波、FM、AM、デジタル放送、受信のためのアプリを備えたスマホなどを通じて、31の言語で24時間放送を行うようになった。
2014年11月、「ロシアの声」は廃止となり、現在は通信社「スプートニク」がこれに代わり、ウェブサイト、モバイルアプリ、オンライン放送などを行なっている。
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