ルワンダを訪問中のマクロン大統領は犠牲者を弔うキガリ虐殺記念館で演説した中で、「フランスはルワンダの事件に独自の役割を演じており、政治的責任を負っている。フランスにも重大な責任がある。歴史を直視し、フランスが真実を問う試験に長い間沈黙を守ることでルワンダ国民に苦しみを与えたことを認めねばならない。(中略)地域紛争ないしは内戦の防止に努めながら、事実上ジェノサイドの体制の側についたことをフランスはわかっていなかった」と述べた。
フランスは4月7日にルワンダの1994年の大量虐殺に関する資料の封印を解いた。
マクロン大統領の元には3月26日、専門家委員会から1000ページ超に及ぶ調査報告書が提出されていた。委員会は2年をかけて調べた結果、フランスが大量虐殺の「準備に盲目に従った」という帰結に達したものの、歴史家の中からはフランスが大量虐殺に加担した「証拠は何もない」という反論も出された。
1994年、ルワンダ上空で同国のハビャリマナ大統領とブルンジのンタリャミラ大統領の搭乗する飛行機が何者かによって撃墜され、両首脳が揃って死亡した。首脳の死をフチの急進主義者らは政権強奪の根拠として利用し、少数民族のツチとフチの穏健派の政治家らに対する大量虐殺を開始した。同年4月から6月の間におよそ80万人が殺害された。犠牲者の圧倒的大半がツチで、このほか穏健派のフチ、ツヴァ族なども殺されている。
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