ヤサール氏は、自分の作品が多くの人々に認められたことは、映画監督になるという自分の夢の後押しになると考えている。ヤサール氏は、「たくさんの人が投票してくれたことは、グランプリを意味するものではまだありませんが、皆さん1人1人からの投票は、私を支持してくれた証です。このコンクールで私以上に勝利を願っている参加者がいるかどうかは知りません。しかし、いずれにしろ、もっとも強い参加者が勝つことになるでしょう」と語っている。
9月末、このコンクールのセレモニーがオンライン形式で行われ、グランプリ受賞者、受賞候補作品の写真家が発表される。コンクール主催者は、例年どおり、受賞者らの作品を世界の各都市で紹介する世界ツアーを2021年末までに開始することを計画している。
アンドレイ・ステニン氏は、2008年から写真を撮り始めた。フリーランスのカメラマンとして「リア・ノーヴォスチ」、「コメルサント」、「ロイター」、「AP通信」、「AFP通信」などに写真を提供し、その後、MIA「ロシア・セヴォードニャ」の特別フォトジャーナリストとして活動した。ステニン氏は、事故や騒乱、軍事紛争、裁判などに特化したカメラマンで、メディア分野の複数の賞を受賞している。
2014年8月5日、ウクライナ南部・東部で仕事をしていたステニン氏と連絡が取れなくなった。世界中でステニン氏を支持する行動が行われた。メディアの自由に関するOSCEの代表者、国際ジャーナリスト連盟(IFJ)、国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF)なども注目した。
そして2014年9月3日、ステニン氏が8月6日にドネツクで死亡したことが分かった。編集部から依頼された任務のため移動するステニン氏の乗った自動車が銃撃され、道路で炎上した。
2014年12月22日、MIA「ロシア・セヴォードニャ」の建物にアンドレイ・ステニン氏への敬意を表してメモリアルプレートが設置された。