東京五輪は成功したと言えるのか?
東京五輪の開幕を前に、石坂氏は論文「命と開催の両立考えよ 五輪は社会を映す鏡」の中で、オリンピックは間違いなく開催する必要があるが、同時に新型コロナの感染リスクを最小限に抑えながら大会を開催する方法について、率直に話し合うことが重要だと指摘した。しかし、オリンピック開催に対する支持者と反対者の間で厳しい対立があったことから、このテーマで建設的な対話を行うことはできなかった。そして結局のところ、コロナのリスクを最小限に抑えた大会を開催することはできたのだろうか?また今大会で日本人選手が大きな成果を上げ、数多くの金メダルを獲得したことで、五輪開催に対し不安を抱いていた人々の気持ちをある程度和らげることはできたのだろうか?
ただ一方で、これだけメダルをいっぱい取り、皆さん喜んでいますので、なんとなく気持ちが緩んでいて、危機的な状況にあるということを忘れてしまったということも事実だとは思います。しかし、多くの人に未だにオリンピックを開催しなかった方が良かったのではないかというような不安や怒りの気持ちを抱かせているのは事実かなというふうには思います。」
石坂氏は、もっとも重要なのは、日本が困難な状況にもかかわらず、アスリートたちに対し、世界の舞台で自らの能力を披露できるチャンスを与えたということだと指摘する。
石坂氏:「オリンピック自体を開催できたことで選手たちは様々なパフォーマンスを展開できて、これは日本の選手だけではなくて、いろいろな国や地域の選手たちも一年間以上に大変だったと思うんですけれども、ここでメダルを取った選手、取れなかった選手も含め、自分のパフォーマンスを披露できたということで、日本がその場を提供できたということは純粋に開催国としてはよかったのではないかなというふうに思っています。」
石坂氏:「オリンピックは開催しなくても、競技場整備とか都市開発をやってきましたので、そういう意味ではオリンピック後にも残る遺産になるのだろうというふうには思います。
それからボランティアの方が非常に一生懸命やってくださったので、海外のアスリートも含めて、評価はそこそこ良いというふうに報道されています。多くの国の人たちを受け入れることができて、また日本に訪れたいという気持ちになってくれていれば、それは非常にポジティブな感情として残るのではないかなというふうに思います。」
石坂氏:「日本人は観客としてスタジアムに入れなかったので、そういう意味では本当に自国でやっているオリンピックという感じは全然しなかったですね。これは、やはり、オリンピックの開催都市、開催国であるということは、現地に行ってみることができたりとか、応援することができたりとか、そういう経験をできる唯一のチャンスなんですけれども、これをほぼ失ってしまったことは凄く残念なことであるかなというふうには、ちょっと漠然としますけれど、そんなふうには見ていました。」
オリンピックはその魅力を失いつつあるのか?
米国での東京五輪の視聴率を見ると、今大会への関心がきわめて低かったことが分かる。とりわけ、リオデジャネイロ五輪に比べるとほぼ半分、ロンドン五輪と比べるとほぼ1/3となった。
またロシアの複数の専門家が、オリンピックはかつてのような魅力を失ったとして、その主な理由を3つ挙げている。
1つ目は、ドーピングスキャンダル、行き過ぎた「五輪の政治化」により、五輪は以前ほど人々にロマンを与えなくなってしまったというもの。
そして3つ目は、競技や種目の数があまりにも多くなり、見ている方もそれを追って理解することが困難になり、五輪の統一した絵をイメージすることがどんどん難しくなっているというものである。
これに関連し、石坂氏は米国をはじめ、複数の国で同じような傾向が見られることに同意している。しかし、日本は特殊な例外の国であると指摘する。
石坂氏:「日本はちょっと特殊な環境だと思うんですけれども、アメリカとか他の国でも視聴者数が減っているという数字が出ていますが、日本の中では視聴率が非常に高いんですよね。オリンピックの開会式はいつもだと30%いかないぐらいの数字だと思うんですけれども、今回はこれだけ非難がある中で56.4%の方が見たということです。」
スプートニク:「日本ではオリンピック開催に反対していた人があれほど多かったにもかかわらず、視聴率が高かったのはなぜだと思われますか?」
ただ、始まってしまえば、『楽しみたい』という気持ちを持った人がけっこういて、選手の頑張りを応援したいという気持ちも出てきたのだと思います。やはりこういう状況下なのでただ単に喜ぶとか『オリンピック楽しみ』という気分を表明することが難しくて、楽しみにしていた人も黙っていたということがあると思います。」
加えて石坂氏は、日本人は逆にソフトボールやサーフィン、スケートボードといった新しい種目、珍しい種目に興味を持っていると考えている。またオリンピックを観る人がかつてよりも減っているにもかかわらず、石坂氏は、日本人にとっては、やはりオリンピックはいまも特別な魅力を持っていると確信している。
スプートニク:「オリンピックに何か改革が必要だと思いますか?」
石坂氏:「オリンピック自体はもうかなり限界を迎えていると思います。仕組み自体を変える必要があります。そこで二つの問題に触れたいです。まず、一番大きいのはこの夏の暑い時期にオリンピックをやらなければいけないということです。
今年は台風の直撃もなく、気温も39〜40度まで上がらなかったことは本当にラッキーだったと思います。しかし、8月のこの暑い時期にオリンピックをしないといけないということはアメリカのテレビ放映権の問題があるわけで、選手たちは非常に過酷な状況でプレイをさせられてしまっています。開催国の最適な気候でプレイができないということがオリンピックの一番大きい問題だと思います。」
スプートニク:「では、2つ目の問題はなんでしょうか?」
この2点が東京では本当に大きなダメージになったことで、オリンピックの特徴を変えていかないといけないと思います。」
スプートニク:「国際オリンピック委員会からのプレッシャーについてはどのようにお考えですか?オリンピック開催に関して、IOCからのプレッシャーが決定的な意味を持っていたと思いますか? 」
ただ一方で、実は日本政府も開催を望んでいて、プレッシャーをかけられているからというよりはオリンピックをここで失うことのダメージの大きさというのがですね、例えば、経済的な問題、様々な準備をしてきて税金を使っているわけなんですけれども、それを開催できずに流してしまうと何のためにここまでお金を使ってきたのかわからなくなります。それに中止にしてしまえば、さらにチケット収入、それからテレビ放映権も入らなくなりますから、大きな赤字がこれからまた借金として生じてしまうというような、そういうダメージの部分が大きかったので、やはり、オリンピックは開催した方がいいというのが政府の考えだったと思います。」
石坂氏:「実際、政府は責任回避をしているというのが日本的なやり方です。IOCの側に言われてしょうがなく、我々には権利がないんだと。つまり、中止する権利がないんだということを言って、実は開催したいけれども、自らの意思で開催をすると言えば批判されてしまうので、契約上もう中止できないと言って責任を逃げているというふうに私は見ていました。
ですので、IOCの力が強いということよりも、政府関係者の人たちがオリンピックを失うことのダメージの方を強く懸念したんじゃないかなというふうには思います。あとは選挙の要素もあり、オリンピックを開催できれば多少なりとも政権の支持率は回復するだろうと見られていましたので、そういう意味ではやらざるを得なかったっていうことなんだろうと思います。これはオリンピックの政治利用です。」